money 部分はあり得るが、その際ものはどうなるのか。Marxism の付加価値はものが市場に載る際の説と理解する。ものの解剖の無いままの経済学なのか。国家経営の分析と理解するが、ものが無限だと、あるいは解釈するもあり得た時代ならいざ知らず、ケインズ理論にて国家経営に当たるのは、不可能だと信ずる。仮にそう走れば、ものを求めて、世界制覇を目指さねばならず、現在の世界の繋がりと情報の伝達速度からして、国が立ち行かない。過去ならば、あり得た戦争紛争による破綻にすら、行かないのでは、とおもう。



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