『色街をゆく』補記 吉原 その4 | 断片的な日々 

『色街をゆく』補記 吉原 その4

吉原ソープ街というのは閉鎖的ではあるが、顔なじみになるといろいろと融通を利かせてくれるところもある。筆者も、いくつか面白い体験をさせてもらったことがある。


たとえば、ソープの屋上から花火を見たことがある。


夏のある日、しばしば通った店に行くと、店員さんが「今日はお客さんも女の子も少なくて」という。聞けば、隅田川の花火大会だという。


個室に入ってからも、馴染みの女性と花火の話になった。そのうち、女性のほうから誘われた。


「先生、上から花火、見ませんか」


彼女の言うには、この建物の屋上から隅田川の花火が見られるとのことだ。ちなみに、「先生」というのは筆者がライターだからそう呼ばれているに過ぎない。吉原では、出版関係者は誰でも先生と呼ぶ慣習があったそうだ。つまり、ライターでもカメラマンでも編集者でも、吉原の中ではすべて「先生」である。現在ではそうした慣習が続いているかどうかはわからないが、かつてはそんな感じであった。


さて、せっかくの女性からのお誘いである。それではと屋上にいくことにした。とはいえ、2人ともバスタオルを巻いただけの格好である。しかも、行き来するほかのお客や女性に出会うのも気まずい。まず女性が先導し、様子を見てから「大丈夫」と手招きしたら筆者がそそくさと後をついていく。そんな感じに、狭くて急な階段を登っていった。


階段を登りきったところの無粋な鉄のドアを開けると、そこが屋上だった。といっても、人が数名立てる程度の、とても狭いスペースだ。


そして、隅田川の花火ははるか彼方に見えた。絶景とまではいかなかったが、立ち並ぶソープランドの建物の上に、色とりどりの花火が開いては消えていくのを見るのは、それなりに風情ある光景だった。ちなみに、屋上から見たソープ街は、表通りの華やかさ、イルミネーションの明るさとは裏腹に、暗く、どこか物寂しい様子に感じられた。


吉原についてはまだまだ語りつくせないが、とりあえず今回はこの程度で。機会があれば、また続きの駄弁拙文を申し上げたい。