東村山に関する雑感とその他 | 断片的な日々 

東村山に関する雑感とその他

暑い日が続く。



体調はすでに回復したものの、山のようにたまった仕事や、その他の雑事の処理が追いつかない。


さて、東村山市議の矢野穂積氏・朝木直子氏が関係する、いわゆる「創価問題新聞」事件について、7月3日に行われた最高裁決定が翌日の7月4日に一部インターネットサイトで公開された件に関して、両市議および一部の人々が「問題視」している。また、両市議が実質運営するサイト版『東村山市民新聞』では、トップページに

「最高裁判所への申入書」と題して長めの文章が掲載されている。


この件について、「問題視」している諸氏がどのような対処対策を講じているのかはわからない。


筆者も同件について、数名の知り合いに聞いてみた。すると、「公開された裁判の決定を公開して、どこに問題があるのか」と怒鳴られた上に、「オメエはその程度の常識も知らんのか」「コッチも忙しいんだ」「風邪で脳までやられたんか、橋本センセイよぉ」などと、さんざん罵倒されてしまった。この件について、「問題である」なとど言う者は、一人もいなかった。


ただ、50代から60代の出版関係者のなかには、「東村山の事件で…」と話をすると、「ああ、あの市議の転落死事件か」と思い出すように口にする者も何人かいた。さらにその一部には、「学会が関係した事件だろう」と言う者もいたが、そのほぼ全員が当時のマスコミ報道を鵜呑みにしていただけであったことは、少し話を聞くだけですぐにわかった。


一方、今回の『最後のパレード』事件で、東村山に関心を持ち始めた編集者やライターもわずかではあるが増えてきているようであった。


しかし、総体としてみるに、編集者やライターのほうがフットワークが悪いと感じるのは筆者だけであろうか。ブログ「C.I.L.」の荒井氏が「もはや真のジャーナリズムはインターネットにしかない!」と述べられていたが、筆者も同感である。とくに編集者の官僚化は、すさまじい勢いで進行していると感じざるを得ない。