沈黙する中村氏と空疎な文字群を羅列する『東村山市民新聞』 | 断片的な日々 

沈黙する中村氏と空疎な文字群を羅列する『東村山市民新聞』

著作権侵害の可能性が極めて高いと指摘される『最後のパレード』(サンクチュアリ・パブリッシング発行)の著者としてクレジットされている、東村山市在住の中村克氏だが、一週間以上にわたり沈黙したままである。


中村克氏サイト「外部の専門家」
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/


別に沈黙することは何ら問題はないのだが、同サイト2009年6月29日付けの記事、「自殺志願・・・」は、明らかに重大な事実誤認の記述が確認されるが、いまだ訂正も削除もなされていない。しかも、単なる事実誤認だけでなく、人命に対する不適切な表現があるにもかかわらず、そのままに放置しておく感覚が筆者にはまったく理解できない。

一方、東村山市議の矢野穂積氏・朝木直子氏による会派「草の根市民クラブ」が、実質運営するインターネットサイト『東村山市民新聞』だが、本日15時過ぎに2009年7月8日に日付が変更された。しかし、とくに目を引くような具体的事実の紹介や論理的なコメントはどこにも見当たらず、〈「フォーラム21」裁判の歴史的意義〉というページに次のような記述が追加された程度に過ぎない。


「フォーラム21」裁判の歴史的意義
http://www.geocities.jp/higashimurayamasiminsinbun/page239.html


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「親創価ネット族」よ! 焦るでない!
 小学生の作文でもあるまい!「たら、れば、そうだ、ようだ」ではなく、「情報源」を明らかにすれば済むことだ。できるなら、やってみよ!
 いいわけをすればするほど、
最高裁内部にも、創価のために情報収集活動をする職員がいるという事実を、自分達で白状することになるのだ。

(『東村山市民新聞』〈「フォーラム21」裁判の歴史的意義〉より引用)

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相変わらず飛躍が多く、よくその意図がわからない文であるが、たしかに「情報源」が大切であることは事実である。


しかし、そのように主張するのであれば、『東村山市民新聞』こそが、そのさまざまな掲載事項についてまず情報源を明らかにし、具体的な事実について完結かつ冷静に説明し解説することが必要であろう。


感情的な表現の羅列など、事実の把握には邪魔なだけである。もっとも、そうした表現が修辞表現上の効果を出しているのであれば、その必要性も認めようが、稚拙な表現にまみれた文章は、単に無駄なだけである。