目的不明な「宇留嶋こきおろし」のプロパガンダ | 断片的な日々 

目的不明な「宇留嶋こきおろし」のプロパガンダ

東村山市議の矢野穂積氏・朝木直子氏による会派「草の根市民クラブ」が、実質運営するインターネットサイト『東村山市民新聞』において、いまだ続けられているのがジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏に対する、単純かつ粗雑な「こき下ろし」である。


さて、筆者の意見としては、宇留嶋瑞郎氏が「創価御用ライター」であろうと。「普通のライター」であろうと、どちらでもよいことである。日本では憲法によって思想や心情の自由が保障されているのであるから、本人の責任と良心に基づいて活動すればよいと筆者は考えている。


しかし、筆者による調査・検証の結果、宇留嶋瑞郎氏を「創価御用ライター」等と呼び得る材料は何ひとつ見つからなかった。したがって、「宇留嶋瑞郎は創価御用ライターである」と判断する材料は、現時点では存在しないと筆者は考える。したがって、このフレーズは現時点では「断定できない」ものであると筆者は判断する。それゆえ、筆者は単純な「推定しうる事実関係」について意見しているに過ぎない。


たとえば、「2+3=8である」という意見があったとする。これに対して、「2+3=5である」と反論したようなものである。もし「2+3=8」が正しいとするのであれば、その根拠を示せばよいだけである。にもかかわらず、「お前は5の味方か」「お前は反8勢力だ」などと言われても、空疎で荒唐無稽なだけである。


さて、『東村山市民新聞』サイトでは、宇留嶋瑞郎氏が「創価御用ライター」である根拠として、「宇留嶋瑞郎氏が創価学会から不自然な利益供与を受けている」という主張をしているように感じられる表現が用いられている。


そして、同サイトでは創価学会に関する事件や疑惑についての引用めいた「切り張り」も少なからず掲載されている。


その両者をあわせ見てみると、まず「創価学会はよからぬ存在だ」というアピールがあり、次に「よからぬ存在である創価学会から不自然な利益供与を受けている宇留嶋瑞郎は、やはりよからぬ存在である」という意見であるかのように感じられ得るような表現として理解できる可能性は否定できない。


ややくだけた表現をするならば、「悪い仲間と付き合っているヤツは悪いヤツ」という理屈と、同等に捉えられかねない可能性もあろう。


しかし、ここに2つの疑問が生じる。


まず、『東村山市民新聞』サイトで取り上げられている創価学会関係の情報は、『「矢野絢也氏・極秘メモ記載手帳」事件』のような東村山市にまったく関係のない事例であること。その一方で、東村山関係のことについては、「創価幹部信者・元公明市議の息子が、組織改正で『経営政策部長』に。全権を掌握」などと指摘しているにもかかわらず、その「全権を掌握」によっていかなる不正、あるいは不利益になるような行為が行われているのかについては、一切言及も指摘もなされていない。


さらに、東村山市とは関係のない「一般的な観点での『よからぬ存在たる創価学会』」には、おそらく「関係者」と呼び得る人物が多数存在すると考えられるにもかかわらず、東村山に関して公的にも私的にも関連するものが何ひとつ認められない、そして東村山市民でもない宇留嶋瑞郎氏という個人をただひとりだけ選び出し、執拗に「こき下ろし」つづける根拠について、何ひとつ確認できないという疑問である。


なぜに『東村山市民新聞』サイトは、東村山市民でもない、東村山市内に勤務しているわけでもなく、市内に事業所があるわけでもなく、市民の利益や権利とはまったく関係のない一介の著述業者に対して、こうも執拗になる必要があるのか。筆者にははなはだ疑問であるとともに、そうした『東村山市民新聞』サイトの周辺について、ますます調査の意欲が増すものである。