メディアの端から | チックル食堂

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雑誌、書籍、ウェブを中心に活動するライター廉屋友美乃の日記。日々の生活、仕事、ライフワークであるフィギュアを中心に忘れたくないことを記していきます。
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先日のこと。
東洋経済で親交のあるコラムニストさんが羽生結弦選手の記者会見について書いた記事がとてもよかったので、感想をメールで送りました。
コラムニストさんは以前からスポーツに関するライティングもされています。
その方は「芸能人ではなく、ましてやプロでもない選手ですら、品行方正さを求められてしまうアスリートが不憫でならない」
私のメールにそう返信されました。
 
羽生選手は品行方正の塊です。これまで一つでも彼の試合を見ればわかることですが、ウォームアップエリアにはいれば一礼、リンクに入る前に一礼、今回も記者会見場にはいれば一礼。
インタビュアーに聞かれたことには誠実かつ的確に答え、ひとつひとつの質問にも「ありがとうございます」と返す。
これ以上、彼に何を求めるのかという話です。
 
「怪我していることを言って欲しくなかった」という風潮もありますが、一方で、アスリートたちが顔を歪めてリハビリする様子を映像にとって流すメディアもありますよね。闘病生活についても密着して流す局もある。それを否定はしませんが、競技が終わってから、怪我を公表することを良しとしないのは、あまりにも矛盾している。
 
誰しも怪我を抱えている状況ではあるものの、それを口にできない風潮はアスリートたちを自分たちの身勝手な理想でがんじがらめにする危険な流れであると思うのです。
 
●後に続くものが何もできなくなる
 
 今回、ショートで4回転サルコウが抜けたところを確認しにいった行為に対して、あれこれいう人たちもいましたが、自分が何で失敗したのか、どうしてあんな風になったのかを確認する行為ですら、あれこれ言われるのであれば、後に続く人たちは何もできなくなります。他の競技のようにラケットを投げる、バッドをへし折る、フィールドに唾吐く行為なら批判されようものの、氷にできた穴を確認しただけで、批判されるのは筋違い。むしろ、「穴や溝にはまるとどうなるのか」を世間に知らしめただけでも大きな意味があったかと思うのです。それに羽生選手はサルコウが抜けた場所を愛おしそうに見ていたじゃないですか。彼が氷をどれだけ愛していたかわかるシーンだと思います。
 それが非難の対象になれば、後に続く人たちは何もできなくなります。
 
 羽生選手の行動は後に続く人たちに大きな影響を与えています。先日、高橋成美さんとお話ししてた時に、羽生選手の感謝について次のようなやりとりをしました。
 
 

—感謝っていうのも、いつも羽生選手を見ていると、すごいなって思います。リンクに手をついて、氷に感謝、ファンに感謝、支えてくれる人に感謝。誰かのために滑る、それはいつもすごいなって思います。

「これまで感謝をストレートに出すのが恥ずかしいと思う選手もいたかとは思いますが、今、ゆづと一緒に練習をしている選手は、それがトップアスリートがやることだって感じていると思うんです。まず、そこがかっこいいと思って真似する。感謝の言葉を口にするのは恥ずかしい、スケートだけできればいいって思ってたところもあったかもしれませんが、羽生結弦選手がそうやって感謝を表に表す姿勢を見せることで、かっこいいと始まって、アスリート、スケーターの価値もあげてくれたんだと、今、お話ししていて思いました」

 

 感謝は本来、万国共通でかっこいい姿です。羽生選手はこれまでの道のり、そして今もなお、アスリートとして真っ当なことをし、聞かれたことについて誠意をもって答えているだけ。それで何か言われるのであれば、後に続く人たちは萎縮してしまうのではないでしょうか。だから、堂々と羽生選手の行動はカッコいいものだと私は声を大にして言いたい。

 彼の行動は賞賛してもしきれないほどの素晴らしいものだと。

 

●わかっている人はわかっている

 

 今回、羽生選手が大きく取り上げられたこと、北京特大号の表紙が軒並み、彼であったことに批判の目が向けられているのは、どの報道陣も知っていることかと思います。羽生選手が頼んだわけでもないし、正直、羽生選手も戸惑っているのではないかとすら思います。

 他の選手をもっと取り上げろ!という気持ちはわからなくもないのですが、やはり期待度からすると羽生選手の注目度の高さは本人の意向とは別に、アンチの動向も含めて社会現象になっていた節はあります。

 

 私はそのあとの新聞報道などを見て感じたことがあります。メディアの多くが彼の三連覇を望み、4回転アクセルの成功を願っていた。それは羽生選手の勝敗が、売り上げを左右するということではなく、彼自身の夢を叶えさせてあげたかったとみんな願っていたのではないかと。それが紙面に溢れ出ていることは、客観的に見ても感じ取れました。

 期待度の高い選手が最高の挑戦をした。彼はオリンピック二連覇以外にスーパースラム、そしてネイサン・チェン選手が今回、更新するまで、ショート世界最高得点保持者でした。

 

 実績十分、メダルを取れる人がなおも高みを目指す。ショート8位ではありましたが、4位まで追い上げる力、そして「羽生結弦の4回転アクセルに挑み、飛んだ」。それに報道陣が心を動かされ、紙面や映像に現れただけではないでしょうか。

 

 それは彼の努力を取材する人たちは、みんな知っていたからだと思うのです。そしてその重圧も十分理解していた。みんな努力しているとと人は言うかもしれないけれども、羽生選手の場合は努力に大きな重圧がかかっていた。その重さは想像を絶するものだったことでしょう。

 

 私は彼が見せてくれている夢に勝手に甘えていたのかもしれません。重圧というのはわかっていたけれども、羽生くんならやってくれると思って書いた記事。読み返しても、私は羽生くんに夢を見ていたのだと思います。

 

 その夢はとても素晴らしいもので、今も続いています。彼が今後、4回転アクセルについてどうしていくかは、わかりませんが、少なくとも、あの素晴らしい4回転アクセルを生きてこの目で見られたことは幸せなことだったと思います。


 

 私はふと、2年前に取材した高橋尚子さんの話を思い出すことがあります。彼女はシドニー五輪金メダルからアテネ五輪までの4年間、苦しい思いもされていました。アテネ五輪では代表に選ばれることはなかったけれども、多くの人に愛されていた彼女は、走る姿を見せるだけで希望となっていたのです。
 以下は当時のインタビューから抜粋しています。誌面にも載っていますが、より正確に意味を伝えるためにも彼女の言葉を大事にしております。
 
「強い選手でもダメになると一気にみなさんに見放されるって。そして相手にされなくなるよとは言われていたんですね。ある程度は覚悟はしていたんですが、逆に2004年(アテネ五輪)、選ばれなかった後でも、番記者であった報道の記者さんは、またなんか取材させてねとか、すごいたくさんのファンの方から、走る姿を楽しみにしているという手紙がたくさん届いて。嬉し涙を流した回数は2004年が一番多いんですよ。陸上人生では最悪の人生でも、人って生きている中ではすごく優しさに触れたすごく素敵な時間だったなって。これだけのパワーを皆さんから頂いたのをお返したいというモチベーションになったんですね。きっと私のようにダメになって。居場所を失っている人がいるんじゃないかと。リストラが多かった年でもあったり。大学で受験に失敗した子供達だったりとか。もうダメだねって年も年だしと言われているところで、もう一回がんばって復活したら、頑張るな、自分も頑張るなっていうように、誰かに伝えられたらいいなと思ったんです。それを伝える一番のいい場所っていうのは試合のゴールをした後の優勝インタビュー。ここでちゃんと思いを伝えることを次の目標にしようと」
 
 彼女は2005年の東京国際マラソンで優勝を果たします。その姿を見て、自殺を思いとどまった人がいたとも。
 
 正しい努力をしてきた人を誰も見放しはしません。その努力が報われなかったとしても、その努力に誇りを持つ姿。羽生選手にとってその努力は、報われないものだったかもしれませんが、彼は努力というものに最大の敬意を払っています。
 報われない努力があることは、大人になれば誰でも知っています。だからこそ、彼の口からその言葉を聞けた時に、ようやく努力の尊さを知ることができたのです。
 あれほどまでに頂点を極めた人だからこそ、口にした「報われない努力」。努力は報われなかったかもしれないけれども、その努力は必ず違う力になる。私はそう信じています。
 
 最後に私の願い。羽生選手を求めている人が世界中にたくさんいるのだから、彼を愛する人たちのために滑って欲しい。平和を願う今だからこそ。