頑張らないという無責任 | チックル食堂

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雑誌、書籍、ウェブを中心に活動するライター廉屋友美乃の日記。日々の生活、仕事、ライフワークであるフィギュアを中心に忘れたくないことを記していきます。
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昨日はハードな仕事だったため、レトルトで温めただけの夕食。サバの味噌煮はオイシックスで。茶わん蒸しは近所のスーパーで88円で購入。きゅうりとしらすの酢の物だけ自分で作りました。

 

日々、家族との生活と食事の献立を考えられる方は、ホントに大変です。適当ができないのですから。

 

ここ最近、頑張る、頑張らないということについて考えてみました。

 

「頑張らなくていいよ、もうちょっとテキトーでいいよ」

という言葉はとても優しく感じます。しかし私はこんなことを言われたら、

 

「と言われましても…」

と思ってしまう人間です。というのは、「頑張らなくていいよ」と言っている人ほど、本人めちゃくちゃ頑張っているからです。

 

また、頑張らないと、やっぱり、仕事が滞ってしまう恐怖がある。自分のかわりなんていくらでもいるって、口では言えても、実際、自分が至らず代替の人をたてられたら、ひどく落ち込む。自分はオンリーワンの存在でありたいと思うのは、人間の性みたいなものですからね。

 

人間、適当がわかりません。どうしても他人のほうがよく見えてしまうし、私なんかは他の人が書いた原稿が、「良記事」なんて評価されていると、ひどく落ち込むことがあります。心の狭い人間なんで。

 

ランチタイムに財布を持って、「今日は何を食べようかな」という働く人たちを見るだけで、「頑張っているな」と思う。

 

頑張らなくていいよ、よりも、人間はやっぱり頑張っているね、と声かけてもらったほうがいい。息を抜くなんて、最上級の技術。

 

そんな私はこんなことを言われると、ホッとします。

 

「あなたが頑張っているのはわかる。だけど、あなたが頑張りすぎて、倒れられると私たちが困るから、休んで」

 

あなたが頑張っているのを私たちは知っている

だけど、あなたが病気になってしまうと、今後、私たちの仕事に支障が出てしまうから、今は体を優先させて。

 

という意味です。ちょっとの差なんですが、こういわれると、ホッとする。

「本当にしんどかったら、ちゃんと病院に行くんだよ」

も、うれしい。

 

どういうことかというと、私はあなたの仲間です、というのがはっきりとわかるからです。

 

私がライティングを担当した本に「ズボラ主婦革命」がありますが、これははっきりと、自分たちは一人じゃない、みんな仲間というを提言しています。

これは頑張らなくていいではなく、こことここは手を抜いたらいいんだよ、というのがはっきりとわかりますし、徒党を組んで、「わしら、ズボラじゃー。ズボラ上等」

と声をあげることで、孤独じゃないということがよくわかるのです。手を抜いてはいけないのは大切な人への愛情というコンセプトも救いがあります。

 

あなたはもうすごい頑張っているし、一人じゃないよというようなことを言ってもらえると、救われるのです。

肩の力は抜けなくても、救われたら、人間は生きていける。

 

人間、やっぱり頑張らないと生きていけないから、「頑張っているのはえらい」をどんどん褒めて欲しいなと小さな人間は思うのです。

 

今日の詰めただけのお弁当。でも野菜多めに体を考えて。健康は誰かを幸せにする。

 

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