ネットに限らず、記事は一方面からしか伝えていないことが多いので、何とも言えませんが・・・

 

そもそも、部活動は教員の仕事ではありません。

教育課程外ですし、部活動の顧問を拒否したことで、職務上何ら不利益を受けることはないはずなのです。

 

 

しかし、実際は部活動は学校教育に深く根付いています。

何より、教員採用試験でスポーツ・文化的活動におけるスペシャリストを特別枠として設定している時点で、部活動に重きを置いているのがわかります。

 

 

私は初任の中学校で4年間、吹奏楽部の顧問をしました。

 

 

 

教員採用試験の願書を出す際に、中学校以降の部活動を書く欄がありました。

正直に中学・高校で吹奏楽をやっていたと記入しました。

 

それが関係してか、初任校で校長との面接の際、「吹奏楽部を担当してほしい」と言われました。

音楽科でもないのに。

 

ただの一部員でしかなかったのですが、「楽譜が読めるから」なんで笑ってしまう理由でお願いされました。

採用がかかっているわけですから、断るわけにもいきませんでした。

今なら売り手市場ですから、初任者でも「できないものはできない」と強く言えたのかもしれませんが。

 

 

そうして、教員生活が始まると共に、吹奏楽部の顧問になりました。

でも、その吹奏楽部がいわくつきで・・・

 

 

私の初任校は吹奏楽部の活動が盛んでした。

私の3代前の顧問の時は、全国大会には行けなかったものの、その手前の大会では金賞常連(ダメ金と呼ばれていました)でした。

部員も保護者も、そんな顧問に絶大な信頼をおいていたようです。顧問は教祖様のような扱いだったそうです。

 

その教祖的な顧問が異動し(ちなみに、その教祖は異動先で全国大会に出場しました)、その後に引き継いだ顧問(私の2代前)は初任者でした。

 

教育委員会としては、何が何でもハイレベルの吹奏楽部を維持したかったようです。しかし、そんな学校の後釜なんて、誰も嫌がります。希望する教員はいません。結局、吹奏楽オタクの顧問から、実情を知らない大学を卒業したばかりの、しかも吹奏楽を知らない初任者が顧問になったのです。

その初任者は音楽科でしたが、専門は声楽(合唱)でした。

吹奏楽を知らないのに、吹奏楽の指導だけではなく、複雑な運営に対応することも任されることになります。音楽指導だけでなく、部費の管理や渉外なども担当しました。もちろん、日常の音楽の授業も担当します。

 

大卒の青年がいきなりこのようなことを任され、キャパオーバーに。

しかも、今までの教祖から経験のない若い教師が顧問になったことで、部員も指導に従わず・・・当然、その年のコンクールの結果は推して知るべし。

 

この初任者は1年間頑張りましたが、結局メンタルをやられて翌年退職してしまいます。ほとんど採用のない氷河期に採用試験に合格したわけですから、優秀な方だったんだと思います。(しかも音楽での採用は少ないので、本当に優秀だったんだと思います)

 

翌年、新たに顧問(私の前任)が異動してきました。40代後半のベテラン教師、英語科。

同時に新たに来た音楽科の教員は、それまでの状況を知っていて、「吹奏楽部は絶対やりません」と言ったことで、英語科なのに市民オーケストラで活動していた人に顧問を任せることになります。

 

でも、新顧問はそんな状況を察して、深入りせず、最低限のソツない指導で1年繋ぎます。

校長には、自分は吹奏楽の専門ではないので、これ以上顧問はできない。次年度は新たに吹奏楽部顧問を置くように、と懇願してました。管理職をめざしていたこともあり、当然この方は1年で顧問を降ります。

 

そうして、その翌年に私が新任教員として吹奏楽部の顧問を受けることになりました。

 

3年生の生徒にしてみれば、1つ上の先輩までは全国大会を目指すほど熱心な活動をしていたのに、

自分たちの代からは顧問が毎年変わって、支部大会どころか県大会どまり、しかも県大会銀賞続きと成績はがた落ち。

 

なので、「また顧問が変わった」、「自分たちは見捨てられた」などと思ったようで、新任の顧問である私に対して全く従う意思がありませんでした。

特に3年生の女子たちは、「教え方が下手」、「やり方が違う」などと言っては、常に反発していました。

彼女たちにしてみれば、「大人の事情」で毎年顧問が変わり、大人(教員)を信用できなかったのかもしれません。

 

 

それまで70人ほどいた部員は、前年までのゴタゴタに懲りて退部者が続出し、30人足らずと半数以下に激減しました。

そのため、前年までA部門(50人の大編成)でしたが、私の代からはB部門(35人)でコンクールに出場となりました。

 

全国大会に繋がらないB部門になったことで、生徒、保護者、OBからバッシングを受けました。

「あんたが顧問になってからレベルが落ちた」、「少人数でもA部門で出ろ」 などなど

 

しかし、それよりショックだったのは、身内の校長と教頭からの言葉でした。

「あんたに期待して顧問にしたのに、格下げ(A部門→B部門)になるなんて」「部員を減らすなんて」

吹奏楽部を潰しただの、能力がないだと言われました。

 

・・・今自分がアラフィフになって思いますが、右も左もわからない初任者に、よくそんなことが言えるものだと。

ちっぽけな管理職でした。

 

 

そもそも、自分は吹奏楽部の顧問になるために教師になったわけではありません。

ですが、当時は若かったので、ベテランのようにできない自分の能力不足を悔やみ、自己嫌悪に陥りました。

今思えば、無茶ぶりされていたのに、若かったから自分の力不足、と思ってしまっていました。

 

その後、この学校では4年吹奏楽部を担当しましたが、年々やり方がわかるようになり、軌道に乗り始めました。

3年目から部員も増えて、再びA部門に出場、4年目は県大会で金賞を受賞しました。

 

 

でも、自分の中では、やりたかったわけでもない吹奏楽部の顧問になり、苦労したことで、

二度と吹奏楽はやりたくない、と思うようになりました。

 

好きだった吹奏楽が、大嫌いになりました。

 

そして、同時に元々高校の採用枠で合格していたので、次は高校で社会科を教えたい、という気持ちが強まっていきました。

そのことを4年目に(翌年異動ということで)率直に校長に言ったところ、案の定激怒。

 

「中学のどこが嫌なのか」

「誰がここまで育てたと思っているんだ」

などと、校長から怒鳴り散らされました。

 

 

初めての異動で、僻地の中学校に異動となりました。

僻地の希望はしていないし、そもそも僻地が少ない自治体なのに。

おそらく、校長の私への思いが反映されたのでしょう。

希望した高校には異動できなかっただけではなく、嫌がらせ的な人事でした。

 

 

逆に、それが東京に戻りたい、という原動力にもなりました。

ここで頑張る必要はないかな・・・と

 

 

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表題に話を戻しますが、

吹奏楽に限らず、「部活命」の教師は、外部の講師が来ることに嫌悪するんだと思います。

 

「自分が王様」

 

なのでしょう。

実際に普段の授業の後に部活動があるので、その一連の流れの中で生徒と関わっているわけですから、

部活の時しか来ない外部講師に何がわかる、という考えなのだと思います。

 

 

部活動によってプライベートが犠牲になっている教員が多い中で、

一部のマニアックな部活オタク教師が神のように崇められる。

そして外部の人間を排除する

 

 

結局、部活をやりたい一部の教員が、多数の教員の首を絞めているのだと思います。