姫路城天守

 

明智光秀は、「本能寺の変」後に鞆で毛利氏に庇護されている
足利義昭を将軍として迎えて、光秀や毛利輝元が管領や副将軍
として支える体制を考えていた。

とはいえ、「本能寺の変」そのものは光秀が誰にも相談せずに
決断したことで、義昭が黒幕だったわけではない。

それでも、義昭から、室町幕府再興の働きかけがあって、
光秀が呼応した可能性はあるのでは。


織田政権の中で、光秀は、領国とした丹波国や近江国だけではなく、
大和国の筒井順慶や丹後国の細川幽斎などを与力大名として
付けられるなど、畿内近国を支配する近畿管領というべき地位に
あった。

ところが、信長が畿内近国を譜代の近臣たちに与える政策にしたため、
外様の光秀は領地を国替えして、近畿管領の役も取り上げようとした
のである。

そのため、光秀は、近畿管領ではなく織田政権の一大名に格下げ
されるのを不満として「本能寺の変」を起こしたのであろう。


「本能寺の変」の時点で光秀は再興室町幕府における近畿管領の
地位を保持することしか考えておらず、自分が天下人になる
つもりはなかった。

もっとも、光秀が室町幕府再興後に義昭と仲たがいして再び追放
することになるかもしれない。

その場合は光秀自身が征夷大将軍になって明智幕府を開くことは
ありうる。


明智光秀の出自 2020年1月28日

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