「作られた『ナラティブ』」— 「私たちは難民を必要としている」? (1)
お久しぶりです~。
前回からまた開いてしまいましたが、月一の投稿ペースだけは何とか守ることができました。
さて、最近私筆者は、某有名(でもないか)編集長の指導よろしく左巻き傾向の激しいキリ新をはじめ、クリスチャントゥデイ(←いろいろなトラブルが絶えないらしいですね....)とか、クリスチャン新聞、クリスチャンプレスなんかも読むようにしていますが、
あるときクリスチャンプレスでこんな記事を見つけ、呆れてしまいました。
【CHRISTIANITY TODAY】トランプ大統領へ 私たちは難民を求めている(対訳)
https://www.christianpress.jp/refugee-resettlement-letters-consent-states-trump-policy/
米国クリスチャニティトゥデイ(注:日本のクリスチャントゥデイとは無関係です)の記事の翻訳ですね。
この話題、以前にTwitterでもちょっと触れましたが、
これ背景をすご~くつづめて言うとですね、
米国では前オバマ政権のもと、中東およびアフリカから大量の難民を連れてきては国内各所に住まわせるというプロジェクトをずっと続けてきたんですよね。
ところが、トランプ氏は
「難民受入に際しては、各州や自治体の同意を必要とする」
という大統領令を出したのです。
つまり『難民を受け入れたい自治体』は「OK」を出して受け入れればいいし、
『難民を受け入れたくない自治体は』それを拒絶し受け入れないことにしていい、という内容です。
ようするに「選択できる」という制度です。
日本人である私にとっては、ごくごく当たり前のことに見えます。
そもそも、『難民を受け入れる』というプロジェクトについては、
宗教ベースのものを中心としていくつかのNPOが米国政府および国連と協働して動かしており、
オバマ前大統領のもとではなんと60万人もの受け入れがあったそうです。
狭い日本に暮らす我々の感覚だと、それほどの人数を外国から連れてくるのに、住民の意見を聴いたり議会で議決をしなくていいのだろうか?という感想が湧いてきます。
しかし日本に比べ土地が広い米国では住民も鷹揚なのか、今までさほどの騒動は伝わってきませんでした。
しかしここへきてトランプ政権になってから、受け入れ数のキャップ(上限)を著しく引き下げるだけでなく
(引き下げたといっても、まだ『万』単位なので日本に比べたら非常に多いですが...)
上記のような大統領令により、究極的には住民の意思を反映して選ばれた議会や行政が『受け入れはしません』と意思決定できるようにした、ということですね。
何度も繰り返しますが、これって(少なくとも私にとっては)当たり前のことだと思うのですが、
一部の米国人にとっては、そうでもなかったようです。
「自治体が『難民を受入れない』決定ができるようにする?とんでもない!」
クリスチャンプレスに掲載されたクリスチャニティトゥデイ翻訳記事では、大統領令が「『外国人を歓迎することを難しくする可能性がある』」と懸念を表明し、受け入れ賛成派の知事たちや団体のコメントも添えていくつもの反対論が湧き上がってきたことを紹介しています。
しかし、それがどれもこれも「ポジショントーク」丸出し。
もしも多くの人がまだこんな「作られたナラティブ」を本気で信じているとしたら驚きです。
たとえば以下の箇所。
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「難民は私たちの地域社会を強化します。彼らは医師であり、バス運転手です。また起業家であり、警察官です。生徒であり、教師です。彼らは私たちの隣人です」とミネソタ州のティム・ワルツ知事は書いた。
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「難民は私たちの地域社会を強化します」?
はああ?
この知事さんは、ドイツで近年起っていることをご存じないのでしょうか?
2015年夏の難民危機以降、ドイツはメルケル首相の肝いりで大量の難民(申請者)を受け入れてきましたが、まるでその「人道的努力」をあざ笑うかのように、
2015年大晦日から2016年元旦未明にかけて行われたケルン駅前のニューイヤーイベントで、中東・南アジア系の男たちからなる1,000人規模の群集が多数の女性たちに襲いかかり、性的虐待や盗みを働いたといういわゆる「ケルン大晦日集団性暴行事件」が発生しました。
その後ドイツの一部の州では、移民難民その他の外国出身者による犯罪の件数の割合が異様に多いことが指摘されています。
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan/9056-1066/
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今後の政策が問われる難民問題と犯罪 - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト 偶然かもしれないが、毎年暮れになると難民が絡んだ犯罪が起きて、ドイツ社会に衝撃を与える。2015年の12月には、新年の花火を見るためにケルン中央駅前の広場に集まっていた群衆に混ざって、北アフリカからの難民らがドイツ人女性ら約1000人の身体を触ったり、携帯電話を奪ったりすると ... www.newsdigest.de |
「ドイツ連邦家庭・青年省は、犯罪学者クリスティアン・プファイファー氏らに委託して、ニーダーザクセン州で難民が起こした暴力事件の実態を調査した。『ドイツの暴力犯罪の動向について』と題された報告書によると、同州での暴力犯罪の数は、2007年から2014年までに21.9%減少していた。だがその件数は、2015年からの2年間に10.4%増加した。学者たちが暴力事件の内容を分析した結果、件数の増加の92.1%では、難民が容疑者であることがわかった。難民が容疑者である暴力事件の件数は、2014年から2016年までに241%も増加している。ニーダーザクセン州では、難民の数が2014年から2016年までに117%増えていた。また、2014年に起きた暴力事件の内、難民が起こした事件の比率は4.3%だったが、2016年には13.3%に増加している」
「件数の増加の92.1%では、難民が容疑者であることがわかった」
いったい、こんなことでどうやって彼らが「私たちの地域社会を強化」するのでしょうか.....?
さらに、受け入れ国の地元民が犯罪に遭うといったことだけではなく、中東あたりから人をたくさん入れすぎると、長年の怨恨関係にあった二つの民族が、受け入れ先でまで抗争を繰り広げるなんてパターンにもなりかねません。(下はクルド人とトルコ人の乱闘。こちらもドイツです。)
https://www.dw.com/en/brawls-between-kurds-and-turks-injure-several-across-germany/a-50863715
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Brawls between Kurds and Turks injure several across Germany | News | DW | 17.10.2019 News Brawls between Kurds and Turks injure several across Germany. Clashes again broke out in Germany between Kurds and Turks over Turkey's military operation in Syria. www.dw.com |
さらに驚きあやしむのはこちらです。↓
「彼らは医師であり、バス運転手です。また起業家であり、警察官です。生徒であり、教師です」
いったいこんな出放題があるでしょうか。
起業家はともかく、医師や、運転士、警察官や教師は、「私、職業は〇〇です」と言えばそれで認められるものではありません。それなりの試験をパスしなければなれない職業です。
この知事さんは、一体何名の難民が、その職業を証明する書類を携行して米国にやってきていると思っているのでしょうか?
仮に、百歩譲って、彼らがその証明書を持ってきているとしましょう。
でもそれは、英語ではなく彼らの国の言語(アラビア語など)で、書かれたものであって、その真偽を判断するのは極めて難しいことです。
でも、さらに譲って、その証明書を持っている難民が、実際その証明するとおりの職業資格・経験を有しているとしましょう。
でも、「言葉の問題」はどうするのでしょうか?
母国にいた段階では、彼らは皆母国語で喋っていたのです。一部のインテリを除いては英語を流暢にしゃべれたはずもないでしょう。
だから、その職業資格経験があったとしても、『米国ですぐその職業につける』わけがないのです!
ちなみに、日本でサラリーマンをやっている私ですが、仕事柄英語を四六時中使っています。ですがそれでも、自分がもしも米国に移住し、電車もバスも市役所も病院も店の表示も全部英語という環境に放り込まれたら、かなりストレスを感じるだろうな、と考えています。
だとしたら、中東や南アジアからいきなり連れてこられた難民が、途端に英語ネイティブの国で「医師や、運転士、警察官や教師」として機能できるはずがないのです。
ちなみにロイターではドイツ難民についてこんな報道をしています。↓
https://jp.reuters.com/article/europe-migrants-germany-survey-idJPKBN13B0AL
『近年の難民、ドイツ到着後の就職率はわずか13%』!
そもそも、難民の全員が受け入れ国住民並みに学校に通っていたわけではないし(上記の記事には通った経験がない人がなんと9%とあります....)、
通っていたとしても、受入国と同じレベルの教育内容であったという保証はないし、
さらには、レベルの高い教育を受けていたとしてもそれはあくまで「母国語」で、という話で。
実際に上述ロイターの記事では「到着時にドイツ語が話せなかった人は全体の90%前後」としています。それでは、労働力の一員どころか、コミュニティの構成員となることすら難しいでしょう。
このドイツの事例にかんがみれば、難民が米国に来たとたん「医師や、運転士、警察官や教師」として活躍するかのような知事の発言は、申し訳ないけど
『夢想』あるいは『妄想』との謗りを免れないです。
しかも「大量流入で職をめぐる競争が激しくなっている面もある」というのですから、もともと難民と職ポストで競合する受け入れ国の住民たち(特にブルーカラーの人たち)にとっては「とんだ災難」になりかねません.....(泣)
で、クリスチャニティトゥデイに戻りましょう。
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ヴァージニア州のラルフ・ノーサム知事はこう書いている。「合衆国は長い間、避難所として自らを示してきました。私たちは、建国の礎(いしずえ)である『解放と自由』という理想を促進します。しかし、この理想を海外にも広げるためには、難民がここにやって来ることを許可しなければなりません。私たちは、自分たちが説き勧めてきたことを実践しなければならないのです」
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この知事さんの仰っていることは、まるで東西冷戦時代の話に聞こえます。(ナツカシ~)
東西冷戦の時代、ソ連やその影響下にある東欧諸国から政治亡命者として多くの人たちが米国に逃げ込み、米国も門戸を開いていたのは事実です。
でも、そういった人たちは共産主義政権といえどもほぼ同程度の文明社会で暮らしていたのであり、またロシア正教その他のキリスト教徒が多かったので米国での社会統合にはさほど困難はなかったのです。
しかも、中には「共産主義の恐怖から救われた!」ということで熱烈な反共主義から愛国(愛アメリカ)主義者になる人たちもいました。
でも、いわゆる現在問題になっている中東・南アジア・アフリカからの「難民」はちょっと背景が違います。
彼らの出身国ではそもそも行政が機能していない、政府自体が存在していないとか(ソマリア等いくつかのアフリカ諸国)
はたまたトラブル解決は実力での復讐とか裁判や法ではなく氏族同士の力関係で決まるとか(パキスタン等南アジア)、
下手すると民兵組織が三つ巴で殺しあっている(シリア等)とかそういう場所から来ているのです。
しかもイスラム教徒の場合はキリスト教的価値観とは相容れるはずがありません。(女は自らをベールで覆え、豚肉飲酒は禁忌、アラーやコーランへの批判は異教徒でも絶対禁止、等)
このような社会からいきなり来て、簡単に西洋社会の法規範・社会規範に適合できるとは思えません。
そうすると「解放と自由」という理想を海外に広げるどころか自国の「混乱と分断」という苦い現実に直面するのではないでしょうか。
再びクリスチャニティトゥデイ翻訳記事。
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テネシー州のビル・リー知事は同意書を提出し、再定住については州や地方自治体の同意が必要とした。しかし、「ワールド・リリーフ」のマシュー・ソアレンスによれば、再定住は常に地方自治体と協力して行われている。大統領命令はそれを変えるものではない。もしそんなことをすれば、それは行政を複雑にし、そのプロセスをより困難にしてしまう。たとえその国境内の都市がそのプロセスに対処できたとしても、それは難民受け入れを望んでいない州にその口実を与えるようなものだ。
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「難民受け入れを望んでいない州にその口実を与える」?
ええっ?
いやちょっと待ってください。じゃあ「ワールド・リリーフ」にとっては、「難民受入れを望んでいない州に、『受け入れない』という決定権をトランプが与えるのは間違っている」とでも言いたいのでしょうか?
皆さん、これがいかにおかしな考え方か、わかるでしょうか?
このような主張をする人たちにはどうやら「共有の財産」という考えが欠落しているようです。
ここでいう共有の財産とは何か?
たとえば、マンションを思い浮かべればわかります。
マンションというものは、占有部分と共有部分からなっており、基本的に区分所有者(部屋の持ち主)は自らの占有部分をどう扱うかについては大幅な自由があります。
しかし、共有部分については自分の判断で勝手なことはできません。この部分の改修や工事は必ず理事会や総会といったプロセスを通じて行われます。
では、区分所有者が、自分の部屋(専有部分)に誰かを一時的に引きいれ住まわせるとしたらどうでしょうか。
これはほぼ問題にならないでしょう。(まあ民泊みたいな業務レベルでやっている状態の場合は問題になるかも知れませんが..)
しかし、その人を勝手に共有部分に入れて寝泊りさせたらどうでしょう。当然問題になると思います。
ではこんな場合はどうでしょう。
近所で大災害があり、家をなくした人が多数発生したとします。そこで、共有部分のロビーなどで彼らを泊まらせてあげたいと、一部の区分所有者が思い立ったらどうでしょう。
そのようなときはまずは理事会に連絡したうえで、多数住民の賛同を得る必要があるでしょう。
以上は、大まかなたとえではありますが、トランプ大統領令は、これと同様に「各自治体が『難民を受け入れるか受け入れないか』を決める」ことを定めたに過ぎません。
それなのに、難民受入推進派としては「そもそも受け入れないという選択肢は絶対にありえない」とでも言いたげなのです。
これは「自治体、州、国家といった住民の『共有の財産』は、住民の意向を問うことなく難民受入のために使用すべきである」と言っているのと同じで、きわめて奇異な考え方なのです。
でも、これって酷くイビツな考え方だと思います。
なぜなら、難民受入による影響は、受入賛成派も反対派も等しく受けるものです。
上記に引いたような、ドイツにおける犯罪の増加もそうですし、
受け入れに伴う財政負担も、多大なものがあります。
さらには「言葉が通じない集団」がコミュニティーの内部に出現することの影響はバカになりません。
よく「文化の衝突」なんて言い方をしますが、文化の違いもそうですが、言葉が通じなければ、
行政サービスの受け方、買い物の仕方、ゴミ出しのルールといったものから、
子供を学校に通わせるときの注意点とか医者による診察といったものまで、
ありとあらゆる点で意思疎通に支障を来たします。
私は職場で北米出身者の人たちと接する機会がありますが、彼らでさえも「役所から来た通知になんて書いてあるのかわからないから読んで」といって私のところにやってきて、聞きにくるのです。
これが、例えば「アラビア語しか読めない」人たちの場合だったら、もう『お手上げ状態』でしょう。
そうすると、受け入れコミュニティーの行政スタッフ、店舗スタッフ、その他地域住民たちにとって、難民とのコミュニケーションはすごく大変だと思うのです。
(教育機関はもっと大変だと思いますが、それは後述します。)
で、このクリスチャニティトゥデイの記事を書いた人、あるいはこの記事に載っている人たちで、
アラビア語、あるいはウルドゥ語やベンガル語といった、中東・南アジア言語、あるいはソマリ語といったアフリカの言語を流暢に話せる人はどれだけいるのでしょうか?
しかも、一言語だけではダメなのです。彼らは複数の国/地域から来ているのですから、
難民との対応を図る各部局に各言語のスペシャリストを集めてこなければ、対応できないのです。
............これってもうほぼ「無理ゲー」入ってません?
再びクリスチャニティトゥデイ翻訳記事に戻ります。
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実はエヴァンジェリカル・イミグレーション・テーブルは昨年12月9日、福音派クリスチャンが署名した請願書を15人の知事に提出している。 テキサス州のグレッグ・アボット知事(写真:World Travel & Tourism Council) テキサス州のグレッグ・アボット知事に出した手紙にはこう書いてある。「米国の再定住プログラムによって再定住した多くの難民は、私たちの憲法が保障する信教の自由のない国々で迫害されたクリスチャンか、少数の他宗教者です。
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「米国の再定住プログラムによって再定住した多くの難民は.........迫害されたクリスチャン」
いやいや、違いますよ。
前オバマ政権においては、受け入れ難民の構成比は、毎年変動がありましたが、ムスリムもかなりの割合を占めていました。2016年度については「ムスリムの数が史上最高に達し」クリスチャンを上回っています。
そして、「トランプ政権になってまた逆転し、クリスチャン難民の受け入れ数が増えた」のです。
ちなみに、もっとも厳しい状況に置かれていたシリア難民に限っていえば、むしろ前政権ではクリスチャンはシリア難民受け入れ数のたった2%以下に過ぎませんでした。シリアではクリスチャンが人口のおおむね10%は占めているというのに、奇妙な現象でした。
少なくとも、「多くがクリスチャンか、他の宗教少数派」という上述の声明はあきらかにミスリーディングです。
もう難民が欲しいあまりに事実まで捻じ曲げる。不思議ですね。
またクリスチャニティトゥデイ翻訳記事へ。
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カリフォルニア、ニューヨーク、イリノイ、メリーランド、ペンシルバニア、コネチカット、マサチューセッツ、ヴァージニア、オレゴン、ミネソタ、ニュージャージー、ワシントンの司法長官による準備文書は、「大統領命令が家族の再会に混乱をもたらす」と指摘している。家族の再会は、米国における難民再定住の主要な目標の一つであり、大統領命令は、近親者に一定の優先順位を与えることを要求しているが、司法長官たちはそれに警鐘を鳴らしている。
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「家族の再会」というのは、ヤな言い方をすれば「チェーンマイグレーション」ですね。
一人が定住すると、やがて両親、兄弟、親戚を呼び寄せます。
さらには自分や子供の結婚相手を見つけるときに至ってわざわざ母国に帰って見つけてきたりします。
それはまあ、人間誰しも血縁の家族と近くで暮らしたいものですし、できれば自分と同じ文化を持つ母国出身者と結婚したいでしょう。その感情はよく理解できますよ。
でも、問題は、そうやってやってきた人たちの殆ども押しなべて「言葉が不自由」で「受入国の法律、文化、慣習はよくわからない」のです。
当然のことながら、上記のドイツの統計にあったように、仕事に就くことができるのはごくごく一部で、その多くは福祉に頼らざるを得ないでしょう。
また、その中に小さな子供がいれば、受入国の保育園や幼稚園、学校に入ることになります。
そうした場合「スタッフが保護者に連絡をとろうとしても言葉が分からず無言に..」とか、
イスラム教徒の場合「給食はハラルにしなければ!」とか、「相手の文化では頭に触れるのは侮辱なのでやってはいけないと他の子供に周知しなけば」とかてんやわんやの騒ぎになることがあります。
ちなみにこれはどこか外国の話ではなく、日本の話です!↓
https://note.com/komazaki/n/ne694ee1c1a31
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グローバル化の波は保育園にも。多言語化にツールで立ち向かえ!|駒崎弘樹|note 2020年を迎え、ますます高まるオリンピックムード。世界中の人が日本に集まってくるのに備えて、商業施設や公共機関でも多言語対応の場所が増えているのを肌で感じます。 5年で2万人超増加!外国にルーツを持つ子どもたちが増えている 街で見かける外国人は、観光客だけではありません。ここ数年で日本で暮らす外国人の数は急増しています。2018年末時点で、日本で暮らす外国人は273万人を超えています。(法務省在留外国人統計より) それに伴って、日本で暮らす、外国にルーツを持つ子どもたちの数も増えています。以下のグラフは、在留外国人のうち、0~5歳の乳幼児の数の推移を表したものです。2014 note.com |
難民を大量に受け入れ、チェーンマイグレーションが大量に起ったら、このような事例も大量に増えることになります。
(それにしても、この記事においては、何か保育園の奮闘を「成功例」のように取り上げていますが、よくよく考えてみれば相手は日本語も覚えようとせず、日本の文化も欠片も理解しようとしないのに「受け入れ側ばかりが痛々しいほど気を使わされる」というのはなぜ?どうやらこれって先進国に共通のようですね.......)
さらに、学校の先生も相当苦労を強いられることになるでしょう。
例えば、一つの教室に、中東・南アジア・アフリカ等の複数の国から来た子どもたちを集めたら、もう授業なんて成立しないでしょう。
(ちなみに、イギリスでは、移民の多いロンドンで児童たちの話す言語を集計すると40言語ほどにもなるとか。これでは先生はどうやって決められた過程を進めているのか。想像もつきません)
あるいは、その難民のご親族がご老体だったら、介護施設を見つけないといけませんよね。
そうすると、今度は介護施設のスタッフさんは、「言葉が通じない利用者さん」とどうにか意思疎通をし、適切な介護サービスを提供するため奮闘しなければなりません。
現実を一顧だにしない夢想論!
難民の大量受け入れは、受け入れ国の、行政・教育その他のサービスを担当するスタッフたちに多大な労力を要求し、あまつさえ治安の悪化や財政負担の拡大により住民に負担を強いる可能性が高いです。
上に挙げたミネソタ州知事のコメントは夢想(妄想)であって、現実には「職業人として活躍し地域社会を支える難民」というのはごく少数。
このような明白な現実があるのに、なぜ、このクリスチャニティトゥデイの翻訳記事に掲載されている政治家たちは、まるで選択の余地などないかのように難民の受入枠維持・拡大を当然視するのでしょうか?
一つの理由は、彼らは常に高給をもらい、良い住宅街に住んでいて、自分の子供は公立よりも程度のいい学校に通わせてるのでしょう。
だから、ブルーカラーの働き口が求職者どうしの競争でなくなろうが、町の治安が悪くなろうが、地元の公立学校が「超多言語」で学級崩壊になろうが、一切関知することはないのでしょう。
それだから、そういった帰結を無視し、高所から下々の民衆に向かって善行と道徳を説くのではないでしょうか。
もっとも、彼らは善行というものを完全に取り違えているといえます。
彼らは、善行の名のもと、国民の共有の財産を私物化し、乱用しているのです。
本当に善行を志すなら、自治体、国といった『住民の共有財産』を利用するのではなく、
自らの身銭を切って、自らが国外に出ていって、自らが難民の世話をするべきです。
だから、これらの政治家たちは、マンションの最上階に住み専用の出入り口と専用の駐車場を持っていながら、
ろくに総会で話し合いもしないまま、下層階の住民たちに向かって「私たちは『余所者』を愛さなければなりません。ロビーや空き部屋に彼らを受け入れましょう」と言っているのと同じです。
もちろん、自らは、その『余所者』の母国語を覚えることもしないし、手ずからその『余所者』の世話をすることなど決してないのです。
まったくもって無責任極まりない人々だと思います。
でも、私は思います。これは彼らの無責任さだけではなく、他の要因もあるように思うのです。
(次回に続きます。)


