トランスジェンダリズムの本質(追補3)

トランス運動の爛熟とLGBT運動の崩壊: レズビアンの反乱

日本では、トランスジェンダー運動はLGBT運動の一部に収まっています。

というより、この問題についての知識がよくも悪くもいきわたっていないので、LGBT全てが一緒くたになってしまい、なぜか「LGBTへの配慮」が本来Tにしか関係のない「トイレの設置」「性自認にあわせた制服の選択」といった形で語られるなど、しばしば混乱した状態に陥っているのが散見されます。

しかし、きちんと考えてみるとレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーはそれぞれがニーズやライフスタイルが全く違います。

本来ならLGBTを一緒くたにすることそのものに大きな無理があると筆者は考えていました。

そして、それを証拠立てるように、より「ススんだ」欧米諸国では、LGBTそれぞれの主張が時としてまったく噛み合わないため、反目が表面化するという事態がそこここで露見しており、「LGBT戦線の崩壊」といった動きが出始めています。
blogs.yahoo.co.jp
旧ブログタイトルは「日本ではほとんど報じられない海外クリスチャン事情」です。
あるゲイ活動家は、トランス活動家についてこう漏らす。「性同一障害の最も効果的な解決策は外科手術だという彼らの主張に私はたびたび反対してきたが、長期に及ぶ意地の悪いバックラッシュに遭った」「彼らは人の健康や福祉よりも、警察のように振舞って人をコントロールすることに取り付かれており、ユーモアがなく、分派的で、憎しみに満ち、ひどくうんざりするような連中だ」 彼に言わせればトランス活動家からの攻撃は「偏狭で反動的な右翼よりもひどい」という・・

今回のニュースは、「LGBT連帯に対するレズビアンの反乱」とでもいいましょうか。

イギリスでの事件です。今年ロンドンで行われた「プライドマーチ」で、一部のレズビアンたちが口を極めてトランス運動を非難しはじめ、10人ほどが「座り込み抗議」を行ったというのです。
www.independent.co.uk
LGBT groups condemn protesters who describe trans movement as 'anti-lesbianism'
本来なら、「シスヘテロ支配主義への抗議?」や「多様性への祝福?」の場であるプライドで、当のセクマイ自身が他のセクマイに抗議するというのは、ちょっと前例のないことで、界隈のニュースでは驚きをもって報じられたようです。

怒りの声明文の内容は?

ちなみに、この「反トランス活動家」たちはすぐ退去させられたようですが、これらの活動家が配っていたリーフレットの文言から、その活動の意図が明らかになってきました。
www.pinknews.co.uk
Signup to receive a daily roundup of the top LGBT+ news stories from around the world Pride in London is blaming “hot weather” and “safety” for its decision to allow anti-transgender ...
この文言が非常に興味を引くものだったので、和訳しました。
-----------------------------

クイアーなLGBT政治運動に連座しているトランス運動は、レズビアンが男性とセックスするように無理強いしている。私たちは進歩主義に偽装したこの悪質なアンチレズビアニズムを断固として非難する。

私たちは、性的パートナーを、その『性自認』ではなく性別で選択するというレズビアンの権利のために立つ。レズビアンがいわゆるトランス女性を性的パートナーに選ぶことを拒否したりペニスを女性の性器として受け入れることをしなかった場合に加えられるあらゆる圧力、例えば強姦や殺害をほのめかす脅迫やトランスフォビックと誹謗することなど、を私たちは非難する。これらの脅迫や誹謗中傷は強要であり強姦文化の表れである。

われわれは外見や振る舞いが社会的に受け入れられた女性のイメージと合致しないという理由で若いレズビアンを性転換することに反対する。短い髪を持ちピンクがキライだからと言ってそれは男性の脳を持っていることにはならず性転換を必要としていることにはならない。トランス運動は性差別的な性ステレオタイプを補強する保守的な運動である。

私たちは提案されている性認識法改正に反対し、また自ら性自認を決定することを女性と少女たちへの脅威と見ている。私たちは、女性たちと少女たちへの性別に基づいたより強力な保護を得ること、そして女性たちが、『性自認』に関わらず男性を入れることのない、性別で隔離された空間を持つ権利を保持できるよう要求する。

-----------------------------

いやはや・・・・とにかく相当アタマにきているようですが・・・・いったいどういうことでしょう?

順番にその主張を見てきましょう。

トランス運動はレズビアンが男性とセックスするように無理強い」?

果たしてこんなことがあるのでしょうか・・・?

しかしまあ、理論的にはないこともありません。

なぜなら、「自分は女性と自認する生物学的男性は女性である」というのがトランス運動の絶対的な命題なのですから、

当然ながら「自分は女性と自認する生物学的男性が『私はレズビアン』と主張して女性に言い寄る」ことはじゅうぶん考えられます。

その相手がレズビアンだったとしたら、このようなことは起こりえるわけです。

さらに、トランス運動のもうひとつのドグマが「たとえ性転換手術を済ませていなくとも、自分は女性と自認する生物学的男性は『完全に』女性である」ですから、

「ペニスを持っているが自分は女性と自認する生物学的男性が『私はレズビアン』と主張してレズビアン女性に言い寄る」

ことは、理論的にはこれまた充分考えられるわけです。

いっぽう「レズビアンがいわゆるトランス女性を性的パートナーに選ぶ」ことを拒否する、という点ですが、

これは前回の投稿で取り上げた調査が示すように「多くのシスジェンダーが実は『トランスジェンダーをパートナーにしたくはない』と考えている」という事実は、一部トランス活動家にとって「目の上のタンコブ」であるということと関連しているように見受けられます。

「男性から性転換したトランス女性は完全に女性」だという主張をどれだけ繰り返しても、異性愛者の男性やレズビアンの女性があえて当該トランス女性をパートナーに選ぶということは稀なケースです。少なくとも私は寡聞にして知りません。

結果的に、「男性から転換したトランス女性」はなかなかパートナーを見つけられないというのは想像にかたくありません。

(蛇足ですが、これは「女性から男性に転換したトランス男性(FtM)」を、シスジェンダーであるゲイ男性がパートナーに選ぶことが少ない、という例と共通したものを感じます。また、FtMトランス男性とシス女性のカップルは、異性愛ではなくたんなるレズビアニズムと理解できます。要するに、MtFトランス女性は、シス男性に向かったとしても敬遠されがちで、なおかつレズビアンにとってあまり好適な相手ではない、ある種不利なポジションにおるわけです・・・・)

なので、男性から女性に転換したMtFトランスは、転換したはいいものの、自分の性的パートナーはなかなかみつからないし、

また周囲のそれこそ「性的指向」としては、同性愛者であろうと異性愛者であろうと「シスジェンダーが好き」という圧倒的多数の傾向は変わらないので、

その状況に歯噛みしているのかもしれません。

(追記:ツイ垢での「苺畑」さんのご指摘で気づきましたが、「トランスジェンダーとデートしてもよいという回答者はいたことはいたのですが、その場合の多くは「トランス者が生まれ持った性別に惹かれてのこと」だったそうです.つまり、生物学的女性に惹かれるレズビアンがFtMトランス者をデート相手候補に含める、といった具合です)。

ともあれ「ペニスを女性の性器として受け入れる」よう強要される、などということが実際にあったのかはわかりませんが、

しかし、近年の「ペニスを持った女性だっている!」という議論から見るとあながちウソとも思われません。
theconversation.com
The UK government is consulting on changing gender recognition laws. Here's what you need to know.
驚くべきことに、ジェンダー理論の応用によって「一部の女性はペニスを持っている」と結論する論者が存在する。

冒頭にあげた「レズビアンが男性とセックスするように無理強い」というのは、そのような被害事例がまだ実際に報道などであがってきたわけではないので、現在のところは判断を保留しましょう。

次に行きます。

「性転換単一推し」と「女性スペースの侵害」はヤメロ!

しかし、その後につづく2-3の主張は、既に前から言われているもので、大いにうなずけるものばかりでした。

「われわれは外見や振る舞いが社会的に受け入れられた女性のイメージと合致しないという理由で若いレズビアンを性転換することに反対する」

この主張は、上記に挙げた拙ブログの過去記事でゲイ活動家が言及していたものと似ています。

要するに、彼らは「「男らしくない少年」「女らしくない少女」は、そのままゲイ/レズビアンとして成長させればいいのであって、性転換などする必要ない」と考えているのだが、トランス活動家はそういった見解を許容しないため両者はぶつかっているわけです。

さらに、

「女性たちが、『性自認』に関わらず男性を入れることのない、性別で隔離された空間を持つ権利を保持できるよう要求する」

この要求は、もはやかなり前から言われてきたことなので多くの説明は要さないと思います。
blogs.yahoo.co.jp
旧ブログタイトルは「日本ではほとんど報じられない海外クリスチャン事情」です。


Township High School District 211というイリノイ州最大の学区で、一名の「トランスジェンダー」(自分の生物学的性別と自分の意識する性別が一致していないこと)男子が、女子ロッカー室を使用させてもらえないのは差別にあたるとして学校を訴える
blogs.yahoo.co.jp
旧ブログタイトルは「日本ではほとんど報じられない海外クリスチャン事情」です。

それに対して51もの在校生家族が「トランスジェンダー生徒を女子更衣室に受け入れる」旨の学校方針を覆すべく訴えを起こす。また6名の有志女子生徒たちが教育委員会で声明を発表し、「なぜトランスジェンダーの生徒と同じ更衣室を使いたくないか」について自分たちの見解を示した。

「女性と自認するが男性器を持つ生物学的男性」がフルに「女性としての扱いを受ける」ことを要求し、女性に限定されたスペースの使用を求めるとき、そこに必ず不安や恐怖を感じる女性たちがいる。

こんな、ごくごく当たり前のことを、多くの人たちがトランス活動家たちに遠慮して言えず、最後になって同じセクマイであるレズビアンたちが言い出すというのも、なんとも皮肉です。

トランス運動の本質は男性的な「征服」と「支配」

それにしてもこれらの事象からよくわかることがあります。

それは、トランス運動の本質は、きわめて男性的な「征服」と「支配」にあるということです。
blogs.yahoo.co.jp
旧ブログタイトルは「日本ではほとんど報じられない海外クリスチャン事情」です。
トランスジェンダリズムは、「自分が何になりたいかどうか」ということよりも、他人に対して「私のことはこう考えろ」と「強要・支配」したい、ということに関係している。

例えば、生物学的に男性としてあらゆる特徴を備えていながら「女性として自認」することのみをもって、周囲の全ての人間に対し、「自分を女性と認識しそのように扱え」と強要し、反対する者は片端から「フォブ」と指弾する。

また、自らの男性的特徴はそのままで、更衣室などの「女性のための空間」を次々と「侵略」していき、さらには「女性のためのスポーツ競技」さえにも進出し、女性競技者たちを打ち負かす。
www.christianpost.com
Connecticut just has its State Open track and field championship events, and one athlete was breaking State Open records left and right for the girls' events. That participant also happened to be a transgender, and so is the runner-up.


コネチカット州で行われた陸上大会で、女子短距離走の1位も2位もMTFトランスという珍事?が発生。そのうち一人はつい最近まで男子で競技していた

なんのことはない、これって昔の征服者である「男」たちがやってきたこととまるで同じではないですか!

他人をねじ伏せ、支配し、その領域に進出し、打ち負かす。

上記レズビアン活動家たちが、

トランス運動は.....保守的な運動である。

といみじくも看破したのも、偶然とは思えません。

現在でこそ、日本におけるトランス活動は「僕ら元女性元女性」としきりにアピールする不思議なお兄様たちが先導する何かちょっと「女性的」な活動に見えますが、

それが男性から女性に転換したMtFに対する「女性スペースへの進出」や「女子競技への参加」の許可を激しく要求するようになったら、話は別になってくると思います。

彼らに主導権を握られたら、トランス活動はまさしく「反レズビアン的」どころか「反女性的」な活動に変容していくでしょう。

筆者も注意深く見守っていきたいと思います。

LGBT運動は崩壊する運命

冒頭で触れたように、LGBT運動というものは、全くニーズも方向性も違う集団を無理やり一つにまとめた運動体に過ぎません。

それをまとめる紐帯のようなものは唯一つ、「異性愛を主流とする社会」「異性愛を前提とする結婚制度」ひいては「異性愛結婚と出産を基本とする家族制度」というものに対するあくなき憎しみです。

憎しみで連帯している運動は、その憎しみの対象が健在であるうちは、闘いの目標を共有しているので連帯していられますが、

ひとたび英国、あるいは他の欧州諸国や北米のように運動が進展し同性婚などある程度の目標が達成されると、次第に求心力を失っていくように見受けられます。

それと同時に、運動内部では異論を排除するため、ますます過激なレトリック(「一部の女性はペニスを持っている」等)が駆使され、また反対する者が当事者であろうとなんだろうとあしざまに罵るということが繰り返されます。

(日本でも、某S議員の発言に伴う一連の騒動で、当該発言を問題視しないゲイ当事者が「ホモウヨ」などと呼ばれてしまい活動家サイドからの罵倒を受けましたが、それなどはこういった傾向の端緒といえるでしょう。)

日本でこういった運動に入れあげている人たちは、この先何が待ち構えているのかをよく認識し、いいかげん目を覚ますべきでしょう。

憎しみから発している運動は、その目標を達したからといって憎しみから転換することはできません。

むしろ、食い尽くす相手を食い尽くしてしまったら、今度は互いに反目を始めるのです。

欧米でのこういった展開を念頭に、現在日本でLGBT運動に入れあげている人たちを見ると、本当に思います。

そういう人たちは「自分が何をしているのかわからない」のです!