鳥取中央郵便局前交差点の一角に
深く腰かけた銅像が設置されている
建設省事務次官退任後
鳥取県知事を4期16年務めた
その後、参議院議員になり
鈴木善幸内閣の
石破二郎は田中角栄の
「刎頸の友」と呼ばれる一人だった
帝大(現東大)卒のエリート官僚の石破と
小学校卒土建屋上がりの衆議院議員の
角栄は年齢も10歳離れていた
「冬は陸の孤島のような
日本海側の雪国を故郷にもつ」
というのが二人の唯一の
共通点だろうか?
昭和55年12月 石破は手術のため
就任5ヶ月で大臣を辞任した
石破は亡くなる1週間前
鳥取市内の病院に見舞いに来た角栄に言った
『いよいよの時は、あんたに葬儀委員長を
やってもらいたい 最後の頼みだ』
葬儀は県民葬となった
葬儀委員長は鳥取県知事が務めた
角栄は友人代表として弔辞を述べた
当時、銀行員をしていた石破の息子
茂(しげる)が葬儀のお礼を言いに
田中邸を訪れた
「鳥取の葬儀には何人集まった?」
「はい、3500人です」 茂は答えた
角栄は、そばにいた早川茂三秘書に
命じた
『青山葬儀場を予約しろ 4000人集めるんだ
田中派葬でやる ワシが葬儀委員長だ』
自民党葬では、だめなのだ
自民党葬では鈴木善幸総裁が
葬儀委員長になる
角栄は葬儀委員長にはなれない
そこで考えたのが最初で最後
前代未聞の派閥葬だった
当時、100人を超える田中派衆参議員全員が
発起人に名を連ねて葬儀は執り行われた
田中角栄は葬儀委員長として
泣きながら弔辞を読んだ
『石破君、君との約束をワシはいま
今日こうして果たしている‥‥』
こうして田中角栄は
「刎頸の友」石破二郎との
約束を守った





