城卓矢の「骨まで愛して」は

1966年1月リリース

作詞 川内康範  作曲 北原じゅん

 

 

 

 

 

 

 

城卓矢(本名 菊池正規)は

1960年菊池正夫の芸名でデビュー

以後、多くの楽曲を発表したが

パッとしなかった

 

 

1966年、城卓矢に改名して

「骨まで愛して」で再デビューすると

167万枚以上を売り上げる大ヒットとなった

 

 

『骨まで愛して』のフレーズが流行語になり

年末の第17回NHK紅白歌合戦に初出場した

 

 

 

 

 

 

 

 

意外に思われるかも知れないが

「骨まで愛して」が生まれたきっかけは

全日空機事故なんだ。

当時、あの惨事をニュースで知って

僕は羽田のホテルに駆けつけた。

遺族は腐乱して骨が見える遺体を

抱いて泣いてた。それを見た瞬間

これが人間の真実の愛だと思った。

だから、人間と人間の愛の詩なんだ。

 

 

 

作詞の川内康範は後のインタビューで

こう語っているが

これは川内の記憶違いだろう

 

 

 

 

 

 

全日空機事故は羽田沖で墜落し

乗員乗客133人全員が死亡した大事故だが

1966年2月に起きている

「骨まで愛して」は1966年1月リリースで

辻褄(つじつま)が合わない

 

 

 

 

 

 

 

川内は昭和20年から昭和30年までの十年間

第二次世界大戦の戦没者遺骨引揚げ運動を

していた

 

 

 

時期は不明だが

『骨まで愛して』のフレーズが生まれたのは

川内の骨に対して特別な思いがあったからだ

 

 

 

他の人では、こんなフレーズは

とても思い浮かばない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

骨まで愛して/城卓矢

 

 

 

 

 

 

 

骨まで愛して/沢田研二、吉田拓郎