石嶺聡子の「私がいる」は

1995年3月8日リリース

彼女の2ndシングル

 

 
 
 
 
 
彼女を初めてテレビで見たのは
1995年のNHK新人歌謡コンテスト
だった
 
NHK新人歌謡コンテストは
1991年~1997年まで開催
特に1994年~1997年の大会は
優勝者に年末の紅白歌合戦の
出場権が与えられ注目された
 
 
1995年の大会は休日の放送
だったのか
テレビ中継を視聴する事が出来た
 

 

トップバッターはショートカットの

若い女性(石嶺聡子)で
その髪型はモンチッチのようで
 (ごめんなさい)
見た目はあまりパットしなかった
 (ごめんなさい)
 
 
 
彼女が歌い始めると私の中で
その印象は変わった
 
透明でのびやかな歌声と
圧倒的な歌唱力
曲が終わる頃には
すっかりファンになっていた
 
 
彼女はトップバッターにも
かかわらず
最高点で決勝に進んだ
 
3人で争われる決勝も制し
見事優勝した
 
 
 
 
 
1994年のレコードデビューから
1998年頃の彼女の歌は
 
時には、つまずく事があっても
未来を信じて前向きに生きて行こう
 
そんな応援ソングのような曲が
多かった
 
 
 
当時、私は40代になり
職場での立場や環境も変わり
悩む事も多かったが
 
彼女の歌にずいぶん助けられた
 
 
 
 

 

Watashigairu/Satoko Ishimine 

 

 
 
 
 
 
 
 
追伸(P.S.)
現在の石嶺さん
昔と全然変わらない
ってゆうか若くなった?