池田輝政は関ヶ原の戦いでの功績で
播磨姫路を与えられ
慶長5年(1600年)
姫路藩主になる
そして、姫路城を大規模改修する
慶長8年(1603年)
次男忠継は備前岡山を与えられたが
幼少のため異母兄で長男の利隆が
執政代行する
慶長18年(1613年)
池田輝政が亡くなり
長男の利隆が姫路藩主になる
慶長20年(1615年)
次男忠継が16才で亡くなり
同母弟の三男忠雄が岡山藩主となる
元和2年(1616年)
姫路藩主利隆が亡くなり
光政が姫路藩主になるが
幼少のため鳥取に所替えになる
姫路藩池田家は三代16年で
幕を閉じる
鳥取へ移った光政は
鳥取城や鳥取城下の整備に
取りかかる
それが今の鳥取市の基礎となります
鳥取城の拡張整備には
姫路城の大規模改修に
携わった職人が起用されました
(明治初期の鳥取城)
寛永9年(1632年)
岡山藩主忠雄が亡くなり
光仲が岡山藩主になるが
幼少のため鳥取に所替えになる
山陽道の要衝、姫路や岡山を
幼子にまかせる訳には
いかなかったのだろう
そして鳥取で成長した光政が
岡山に所替えになり岡山藩主になった
池田輝政の孫同士(いとこ同士)の
交換トレードです
光仲は岡山から多くの商人や
職人を引き連れ鳥取へ移封し
光政のあと鳥取の城下町を
さらに整備します
池田光仲を宗家とする鳥取池田家と
池田光政を宗家とする岡山池田家は
それぞれ幕末まで、続きました
姫路、鳥取、岡山の三都城下町物語です



