2012/03/11。
3月11日付/編集手帳
使い慣れた言い回しにも嘘がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる
〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。
寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。
津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。
復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。
いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである。
死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。
命に「約」や端数があるはずもない。
人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。
雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。
ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。
この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。
【読売新聞】
あれから1年。
今までと違った1年だったと思います。
色んなことを特別に感じ、
当たり前の日常ほど、
さらにそう感じました。
震災の後遺症に苦しむ方々に一日も早く笑顔が戻ること、
身体的、精神的、物理的にも復興できますように。
死の悲しみ、先の見えない不安や心配を抱えながらも、
時間が進むにつれ、
少しずつ前に向かって歩き出したという事実を忘れないように。