以前、私が【道鏡を守る会】に入会させてもらっている事は紹介させてもらいましたが、先日、最新の会報が届きました。
色々と興味深い記事が掲載されていますが、その中で特に注目したのが高橋義泰氏による「飛鳥・岡寺に伝わる縁起読みくだし」でした。
そこには奈良時代に称徳天皇が発願された百万塔が分置された十大寺が東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺の七大寺と四天王寺、法華寺、龍蓋寺(岡寺)であった事が明記されています。
百万塔が、この縁起が書かれた時には龍蓋寺(岡寺)に有ったから明言出来たように思えます。
従来、分置された十大寺は平安時代初めの延喜式記載の十大寺である七大寺、四天王寺、祟福寺、弘福寺と考えられていましたが私は以前から疑問を持っていました。
祟福寺と弘福寺が十大寺に加えられたのは皇統が天武天皇系から天智天皇系に移り天智天皇ゆかりの寺院の寺格が高められてからの事に思えるからです。
そして称徳天皇の御代の十大寺が七大寺と四天王寺以外に法華寺と龍蓋寺(岡寺)であったというのは、とても納得が出来ます。
法華寺は総国分尼寺であり、淳仁天皇と不仲になった孝謙上皇(後の称徳天皇)が入寺された寺で平安時代の巡礼記には法華寺に道鏡禅師の念持仏の如意輪観音が安置されていた事が記載されているので称徳天皇と道鏡禅師の、どちらとも親密な関係の寺院であったと考えられます。
龍蓋寺(岡寺)は道鏡禅師の師匠である義淵僧正が本願で道鏡禅師が居住していた時に、今の本尊の如意輪観音を造立し、開眼の時には称徳天皇が行幸されたという、この縁起の内容も称徳天皇が長谷寺に行幸された事は「続日本紀」に記載されていますので、その時に龍蓋寺(岡寺)にも行幸された事は十分に考えられます。
今、岡寺は、その由緒で道鏡禅師と称徳天皇との関わりを伏せているように感じますが、その関わりを公にして、この縁起の内容を多くの方に知ってもらう事によって奈良時代の岡寺の十大寺の一つであったという寺格の高さと奈良時代に遡る厄除けの起源を宣伝すれば良いのになと思っています。