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三郷町周遊マップより
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三郷町周遊マップより
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三郷町周遊マップより
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広報さんごう平成25年9月号より

 昨日、持聖院に電話をして確認した所、快慶作と考えられている一針薬師の公開方法については、まだ検討中で10月位からの公開を考えておられるようでした。

 そこで、その前に一針薬師についての資料を収集して予習しておきたいと思い、三郷町役場を訪ねて、持聖院関連の資料を幾つか頂きました。

 三郷町周遊マップには三郷町の全体の地図が大きく載せられており、古社寺、特産品、名所などの紹介もされていて三郷町を訪ねる前に予習しておくには最適の資料だと思います。持聖院が大和北部八十八ヵ所四十七番札所で一針薬師と薬師如来坐像が三郷町指定文化財に指定されている事が紹介されています。

 また「広報さんごう」の最新号の裏表紙にも「一針薬師」が取り上げられています。

 写真を載せさせてもらいましたが、その内容を紹介させてもらいます。


勢野東の持聖院に一針薬師(線刻薬師如来笠石仏)と呼ばれる鎌倉時代前期に造られた日本一大きい笠石仏があります。根部からほぞまでの高さ288㎝の花岡岩の中央には薬師如来像が薄肉彫りされています。主尊(薬師如来)の像高は150㎝で両手を胸前で合わせ、左手に薬壺を持ち踏割蓮華坐の上に立っています。その左右には脇侍として高さ90㎝の日光菩薩・月光菩薩が、またその周囲には十二神将が刻まれています。
笠石は幅200㎝、奥行103㎝、厚さ20~25㎝の扁平の石です。このように石仏が笠をかぶっているのは珍しいものです。

薬師如来の顔が摩滅しているのは、長年多くの人が一針薬師を手で撫でた為であろうと言われています。笠石裏側には刻銘が刻まれており、鎌倉時代に惣持寺を興した解脱上人貞慶(1155~1213)と関係のある石仏であることが分かっています。
平成25年に春日神社境内から持聖院境内へ移動されましたが、発掘調査で江戸時代に春日神社境内に移動されていたことが確認されました。平成3年7月1日に三郷町指定文化財に指定されています。