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本堂前の看板
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返信用はがきに印刷された参加券
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西大寺の文珠菩薩四侍者像(重文、1302年)「古寺巡礼奈良8 西大寺」より

 この日の講師は般若寺のご住職のご子息で法嗣(ほっし)の工藤顕任さんでした。 
 パソコンの画像を使い、般若寺の歴史を分かりやすく説明してくださいましたが、僕が一番興味を持ったのは、かって般若寺の金堂にあった文珠菩薩四侍者像と西大寺本堂に現存する文珠菩薩四侍者像との関連についての考察でした。 

 叡尊上人の文珠信仰に基づく造像として代表的なものとして般若寺の文珠菩薩像の造立が挙げられますが、この像は、その後の兵火で一部を除いて失われています。 
 西大寺の像は、叡尊上人の十三回忌にあたる正安四年(1302)に完成されたものですが、顕任さんは般若寺に残る残存部分と西大寺像の造像の意義から、西大寺像は般若寺金堂にあった像の模刻ではないかという考察を示されました。 

 西大寺像が般若寺像を模刻して造られたという記録は無いようですが、叡尊上人の十三回忌に造られ、叡尊上人が居住された西僧坊の南に文珠堂を建立して安置されたという事から、当時、般若寺にあった叡尊上人の文珠信仰を代表する像を模刻して西大寺に安置する事が目的だったという事は十分に考えられるように思いました。 

 当初像の残存部分は、白鳳秘仏と一緒に11月11日まで特別公開されているようなので、再訪して拝見したいと思っています。 

 また顕任さんは叡尊上人、忍性上人の文珠信仰についても分かりやすく説明してくださり、忍性上人の一生を紙芝居形式にした動画も見せてもらい勉強になりました。 


 振り返ると、この日は、叡尊上人、忍性上人の文珠菩薩信仰に繋がる文珠菩薩騎獅像をまず良福寺で拝観し、その後、忍性上人が出家した額安寺を訪ね、最後に叡尊上人、忍性上人が非人と呼ばれて迫害されていた貧しい人々を救済するため寺の造立にも従事させたと考えられる般若寺で講話を聴かせてもらった事になり接点があったと感じさせてもらいました。