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十一面観音立像(国宝、平安時代初期)渡岸寺観音堂発行の図録より
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胎蔵界大日如来坐像(重文、平安時代中・後期)渡岸寺観音堂発行の図録より
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渡岸寺観音堂境内に登場した地元のゆるキャラ
次にバスで向かったのは、今回、このツアーに参加する上で一番の目的だった渡岸寺観音堂(向源寺)でした。
十一面観音立像は収蔵庫の中で、時計回りに全方位から拝観出来るように安置されていました。
圧倒的な存在感を感じさせる観音像を初めて観る事が出来て感動しました。
「高月町観光ガイド・ルートマップ」では下記のように紹介されています。
平安初期の作といわれる国宝十一面観音立像は、戦国時代には兵火を避けるため村人により土中に埋められ災禍を免れたと伝わっています。
深い慈悲をたたえた表情にインドや西域の作風を伝えており、腰を少し左にひねった官能的なプロポーション、大きく作られた頭上面とその配置、「じとう」と呼ばれるイヤリングなど数々の特徴を備えています。
井上靖氏の小説にも登場し、日本仏教彫刻史上の最高傑作といわれています。
同じく収蔵庫に安置されている胎蔵界大日如来坐像も魅力的な仏像でしたが、「高月町観光ガイド・ルートマップ」では下記のように紹介されています。
法界定印を結ぶ胎蔵界の大日如来像で、優しくまとまりの良い穏やかな相好やふくやかな丸いお顔、なで肩、蓮のような衣文に包まれた両膝など、藤原仏の典型的な様式をよく示しています。
十一面観音立像は写真では何度も観た事がありましたが、実物は写真以上に黒いという印象を受けました。
この事については渡岸寺観音堂発行の図録には下記の説明がありました。
お姿が真っ黒になっているのは、今からおよそ四百四十年前、元亀一~三年に、この地方に勢力を持っていた浅井長政と織田信長が戦った合戦の間にしばしば焼かれる災害に遭い、その都度、土中に埋めて難を避けたと言われる。その時に貼っていた金箔、着色されていただろう色彩がすべて剥落してしまったと言われる。
図録の胎蔵界大日如来坐像の解説でも、当初は漆箔が施されていたと思われるが現在ははがれている事が紹介され、十一面観音像と同じく元亀年間の戦の折りに土中に埋めて難を避けたのであろうと書かれています。
この渡岸寺観音堂の境内が、ふるさとまつりのメイン会場になっていて、沢山の店が出店して門前市をなしておりステージイベントも色々企画されていました。
時間が無くてステージイベントを見る事が出来なくて残念でしたが、ご当地ゆるキャラの面々には会う事が出来ました。