飛鳥園発行「大和地蔵十福」の大野寺についての解説は岡田明知住職が書かれていますが、その中で上記見出しで身代り焼け地蔵の由来を書いておられますので紹介させてもらいます。

 「大野寺に安置し奉る地蔵菩薩は霊験あらたかにして、人々霊告をこうむり、危難を免れ、業病難病平癒する等の不思議数あり」。
 昔、室町時代の永正年間、大野の地に地蔵菩薩の御堂がありました。土地の豪族の侍女に小浪という名の娘がおり、彼女は忠実でよく主人につかえ、信心深く常に地蔵菩薩をあつく信じて、唱名を怠りませんでした。 
 ところがいかなることか、突然無実の罪を着せられ、火焙りの刑に処せられることになったのです。彼女は深く宿業を歎き悲しみ、しかしながら刑場へと引き立てられます。 
 人々が涙を流しつつ見守るなか、炎と煙が燃えさかったまさにそのとき、炎の中に地蔵菩薩が現われました。仰ぎ見る人々は驚き恐れて、あわてて清水をかけ火を消します。 
 小浪はというとー彼女は無事で、ただ静かに合掌して地蔵菩薩の名を唱えておりました。
 人々が地蔵菩薩の御堂に馳せ参じ扉を開けると、御堂の中は煙がこもり、地蔵菩薩の半身は焼けこげておられました。 
 小浪はまのあたりに地蔵菩薩の御加護をいただき感激して、即座に入道し、法名を妙悦と称して、生涯御堂をお守りしたといいます。その後、御堂の身代り地蔵菩薩は大野寺へと移され、今に至っています。