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阿形
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吽形

 6月22日に矢田寺を訪ねた一番の目的は特別公開の本堂をもう一度、ゆっくり拝観する事にありましたが、この日、本堂内の仏像の解説をしてくださった南都銀行OBでボランティアガイドをされている方の解説が分かりやすくで、とても勉強になりました。 

 特に、矢田寺本堂に安置されている二天王立像が元は唐招提寺の講堂に安置されている二天王立像と共に四天王像として造られたもので、頭部を江戸時代に新たに造って改造されたものである事が分かり、元の形に戻すために解体修理がされた話は、修理前の写真も見せていただき、とても興味深く拝聴しました。 

 僕が奈良の仏像に興味を持って調べていて感じるのは、昔は、お寺の間の力関係で仏像の移動が頻繁に行われていたのではないかという事です。 

 鎌倉時代に山田寺の薬師三尊が興福寺に奪われて東金堂に安置された話は有名ですが、前に紹介させてもらった額安寺の十大弟子と八部衆像、長安寺の四天王像が鎌倉時代に興福寺西金堂に移された事などもあります。 

 また薬師寺東院堂に安置されている聖観音立像も「今昔物語」に記載のある植槻寺のものである可能性が高いと思います。 

 仏像の伝来を考える時には、寺院間の交流の歴史を辿って、その間での仏像の移動の可能性も考える事が必要ではないかと私は思っています。