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国宝 金剛力士像阿形(絵ハガキより)
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「興福寺曼荼羅図」に描かれた金剛力士像阿形
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国宝 金剛力士像吽形(絵ハガキより)
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「興福寺曼荼羅図」に描かれた金剛力士像吽形


 国宝館には治承の兵火で焼失した後、鎌倉時代に再興され西金堂に安置されていた国宝の金剛力士像二躰もありますが、ポーズが「興福寺曼荼羅図」に描かれた金剛力士像に極似し、その図から現存像吽形の失われた右腕の形を想像する事が出来ます。 

 「興福寺曼荼羅図」に描かれた金剛力士像二躰は、承暦二年(1078)に造立されたと私は考えており木造だったと思いますが、大きさは150センチ強で、華原磬の次に運び出しやすかった仏像だと思います。 

 しかし、この二躰は治承の兵火で焼失しているので、更に奥に安置されていた仏像を運び出すのは、普通の状態では無理だったと考えて良いように思います。