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二月堂修中練行衆日記第七(部分)

 昨日の讀賣新聞地域面の「鹿園観照 奈良国立博物館で見る名宝」のコーナーで上記タイトルで、今月18日までの特別陳列「お水取り」で展示されている、「二月堂修中練行衆日記第七」が、学芸部研究員の斎木涼子氏の解説で紹介されていました。 

 その記事を抜粋して紹介させてもらいます。 


 (前略)
 修ニ会に参籠する僧侶は練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれるが、その練行衆が代々書き続けてきた参籠日記が「二月堂修中練行衆日記」である。現存する最古の日記は1124年(保安5年)から1269年(文永6年)の記録を収めた冊であり、日記は今なお書き継がれている。 
 日記には、各年の上七日(前半)、下七日(後半)に参籠した練行衆の名のほか、特筆すべき出来事などが記される。 
 今回、取り上げる「第七」には(中略)明徳3年(1392)の項には、前年に「室町殿」こと足利義満が東大寺に参詣した際、二月堂を見学したという興味深い記述がある。 
 日記によれば、明徳2年9月19日、その年の練行衆が義満一行を二月堂で出迎えている。義満が礼堂の座に着し、小観音(本尊・十一面観音菩薩像のうちの1体)の厨子を拝見した後、香水(こうずい、井戸からくんで本尊に供える水)と土器(かわらけ)などが用意された。香水の由緒の説明を受けながら、義満はそれを3杯ほど飲んだという。また「尾切」と「小鷹」という二つの法螺貝が吹かれると、老獅子がほえるような尾切と、幼子が母と戯れるごとき小鷹の音色に、義満は大変感動したという。
(中略)
 修ニ会とは直接関係がない前年の出来事をわざわざ記していることから、義満の訪問が、東大寺僧侶にとって重要な出来事であったことがわかる。 
 一方で日記には「御感嘆の気色超絶」「御感左右能わざるや」など義満が大いに感激した様子が述べられており、僧侶たちの自負や誇りが強く感じられる。