やまさんのブログ-201202082314000.jpg
「興福寺曼荼羅図」の文珠菩薩坐像
やまさんのブログ-201202090605000.jpg
文珠菩薩坐像(「興福寺国宝展」より)


藤岡穣の研究 

 藤岡穣氏は「興福寺南円堂四天王像と中金堂四天王像について(上・下)」で、鎌倉復興後の南円堂の安置仏を描いた絵画遺品に描かれた南円堂の四天王像を検討したところ、興福寺に伝来する四天王像では現南円堂像よりも、むしろ鎌倉復興像である現中金堂像に一致することを発見した。
 加えて、京博本に描かれた南円堂の四天王像もまた現中金堂像に一致することを突き止めたのである。 

 また藤岡氏は京博本の保存状態を観察した結果、南円堂の壁画祖師像の状況を根拠として景観年代を治承の兵火以前と決定することは出来ないと言明した。

 それ以外の毛利氏が治承の兵火以前と考えた根拠も、京博本は正確な写実でないので、これらをもって景観年代を決定することはできないことを再確認した。

 その上で藤岡氏は、さらに画像の検証を進めたところ、北円堂の無着・世親像、西金堂の仁王像、東金堂の帝釈天・文珠・維摩像などは、現存する鎌倉復興像に類似し、特に東金堂の文珠菩薩像は梵篋を頭上に乗せるという、きわめて特異な図像が鎌倉再興像と極似することから、景観年代は治承の兵火以降である可能性が高いと述べた。 
 すなわち、京博本には南円堂四天王像や東金堂文珠像など鎌倉復興像を写したと考えられる図像が含まれる以上、景観年代は治承の兵火以後と考えたのである。