
十一面観音菩薩(天平時代、国宝)栞より

境内

境内

本堂

本堂の装飾

境内からの眺め
次に訪ねたのは国宝、十一面観音で有名な聖林寺です。
こちらを訪ねるのは昨年に続いて二度目です。
十一面観音菩薩が安置されている観音堂を拝観する前に、本堂の中にあるフェノロサにより寄進された十一面観音菩薩の厨子の前で西山氏による解説が有りました。
その中で、この像は神宮寺の本尊であったために神仏分離令が出され神社に仏像を安置する事が出来なくなった時に縁が有って、こちらのお寺に移されたが、和辻哲郎氏の著書に伝聞として記された道端に放置されたという事は考えられず大切に運ばれたと考えられるいうお話をされました。
それに付随して、「神仏分離令」と「廃仏棄釈」が混同して考えられているが、全くの別物で、薩摩や奈良の十津川では廃仏棄釈で寺院が全く無くなる事態になったが、それは特殊な事例で、奈良でも、その他の地域では廃仏棄釈は無かったと話されました。
明治政府になって江戸時代に寺院が寺外に寺領を有して経済的に優遇されていたのが廃止され、各寺院が経済的に苦しい状況になったため多くの寺院が廃寺に追い込まれたが、それは神社も同様で神社も合併等により数が極端に減少したとも話されました。
そして、興福寺は廃仏棄釈で、ひどい目に遭ったと誤解されているが、そうではなくて、奈良市内の他のお寺、例えば西大寺、薬師寺、唐招提寺などは、苦しい状況でも、お坊さんが頑張って寺を維持したが、興福寺の場合は、お坊さんが頑張らなくて、これからは神社の時代だと判断して、全てのお坊さんが神官になって春日大社に移って無人の寺になったために、廃寺に追い込まれたのだと話されました。
国宝の十一面観音菩薩については、純粋な観音菩薩として制作されたのでは無くて、神像という要素があるので、その当時の観音像としては異様な面貌をされているのではないかというお話があり、後から訪ねる観音寺の十一面観音菩薩との違いを感じてもらいたいとの話が有りました。