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川原寺(弘福寺)遠景
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「明日香文化財の精華」表紙
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持国天立像
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多聞天立像

 次に徒歩で向かったのは川原寺(弘福寺)です。 
 川原寺は先月29日のウォーキングの時に最後に訪ねましたが時間が遅く、本堂の拝観は出来ませんでした。 

 川原寺の事については、10月7日の「川原寺跡を散策して帰路へ」と10月22日の「飛鳥にちなんだ万葉日本画展」で紹介させてもらっています。 

 その前に10月1日の「飛鳥ウォーキングの動機」で「大和寺集記」という書物に遺された平安時代、康平七年(1064)のものと推測される飛鳥の寺院の状況を紹介させてもらいましたが、最近それを読み直して、西大寺の四王堂の四天王像を除くと、各寺院の安置仏紹介で四天王像の記載が無い事に気付きました。 
 例えば唐招提寺の金堂には、現存の四天王像が、その頃にも安置されていたはずですが、梵天、帝釈天とともに記載が有りません。

 その理由は明らかではないですが、寺院の仏堂の安置されている本尊、脇侍は異なっても四天王像は付随して絶対に安置されるものだったために省略した可能性が高いと思います。 

 そのように考えて川原寺の記事を見直すと、四天王像の記載が省略されている可能性が高く、次のように修正出来るのではないかと思います。 



★河原寺(又、弘福寺と云う)


○金堂
●中尊十一面丈六(作人作、化人作の誤記か)●八大明王●四天王●(中尊の東)薬師像並びに十二神将

○三重塔

此の寺は弘法大師の旧跡、後に高野山辺りに移る云々。


 現在、本堂に安置されている持国天立像と多聞天立像は、その四天王の内の二躰、先日、万葉文化館の「大飛鳥展」で初めて拝見した十二神将像も同じく、この時、金堂に安置されていたものと考えてよいのではないかと考えています。


 持国天立像と多聞天立像のカラー写真は先日、石舞台の売店で購入した明日香村発行の「明日香文化財の精華」から転載させてもらいました。

 この図録には、他にも明日香村に在る、あまり紹介される事の無かった文化財のカラー写真も載っていてお奨めです。