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 昨日(9月10日)の毎日新聞夕刊に写真を掲載した東大寺法華堂に関する記事が掲載されていました。 

 この記事によると法華堂の本尊である不空羂索観音像が乗る基壇と法華堂に使われた木材が729~731年に伐採されたことがわかり、これまで信憑性が低いとされていた、平安時代に編纂された『東大寺要録』の天平5年(733)創建説を裏付ける結果で、瓦の研究から740年代以降に建てられたとする従来の学説の再考が求められそうだと書かれています。

 9日に、東京国立博物館で講演された東大寺の森本公誠長老が年代を明らかにされ、法華堂や観音像は神亀5年(728)に亡くなった聖武天皇の息子、基王のために造られた可能性が高いとの見方を示されたそうです。 

 ただ、前に書かせてもらいましたが、法華堂は最初は不空羂索観音と裏面の執金剛神、今は東大寺ミュージアムに安置されている日光、月光菩薩、今は戒壇堂に安置されている四天王が一具のものであったと考えられ、その場合には天平5年の創建時の建物は、今の法華堂より、もっと小さなものであったと考えられます。
 私は今の法華堂が完成したのは神護景雲元年(767)2月の称徳天皇の東大寺行幸の前だと考えていますが、その時に前身建物の木材を再利用した可能性が有ると思います。

 何故、称徳天皇が、当初の法華堂よりも大きな堂に建て替え、新たに梵天、帝釈天、金剛力士、四天王の巨像を造立したかは謎ですが、当初の法華堂と本尊の不空羂索観音が幼くして亡くなった称徳天皇の弟皇子のためのものであったとしたら、その供養のために、より立派なものにしたいという特別な思いが有ったかもしれないと思っています。