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西大寺伽藍絵図(江戸時代)


この推理は、法隆寺に現存する百萬塔は、当初から法隆寺に安置されていたものではなく、鎌倉時代以降に他の寺院(岡寺が一番有力だと思います)から運びこまれたものである事が前提になっています。 

嘉禎四年(1238)に顕真によって著された「聖徳太子伝私記」に百萬塔の所在が載っていないので、それ以降に運び込まれたと私は思っていますが、もし当初から法隆寺に安置されていたものという確証が得られれば、この推理は成り立ちません。