悲劇の温かい結末 | 「週刊・東京流行通訊」公式ブログ

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東京に暮らす中国人が見た、リアルタイムのこの国のすべて・・・

33年前の秋風が寂しく吹く日に、日本海に面した新潟県で、一人の13歳の少女が忽然と姿を消した。その日から、幸福な家庭が苦痛のどん底に突き落とされた。昼間は、父親が海岸を歩き回って娘の手がかりを探し、夜になると、母親は涙を流して子供が奇跡的に帰ってくるのを願った。月日はたちまちのうちに過ぎ、非道な国の拉致の真相が水面に浮かび上がった。長い歳月の間、両親は娘を救い出すために奔走した。横田めぐみさんが失踪する前日は、父親の誕生日だった。めぐみさんは父親にプレゼントを渡して、笑いながら「これからはおしゃれに気をつけてね」と言った。その時もらった櫛は今も変わらず手元にあるが、父親の髪は悲しみで真っ白になった。


25年前の陰鬱な夏の日、群馬県の御巣鷹山で飛行機事故が起こり、520の尊い命が失われた。17歳の木内静子さんは同級生と神奈川県に旅行した帰りに事故に遭った。その日から、幸福な家庭が苦痛のどん底に突き落とされた。母親は大阪から群馬に移り住み、父親は退職後に合流した。毎年、5月の静子さんの誕生日と8月12日の命日に、二人は日航機が墜落した現場まで登り、娘の墓標を守ってきた。


それぞれの家庭に不幸が訪れた。両親の悲しみはいかばかりであろうか。だが今年の夏、ある奇跡が起こった。木内夫妻のところに、東京都港区の「キウチ・シズコ」さんからの手紙が届いたのだ!今年42歳のシズコさんは、25年前の飛行機事故を伝えるテレビで、「キウチ・シズコ」というカタカナの名前を見て、目を疑った。事故に遭ったのは、自分と同姓同名で、自分と同じ高校3年生だったのだ。その日から、彼女は「静子さんの分まで強く生きよう。幸せになろう。」と誓った。飛行機事故の日になると、彼女は手を合わせて祈った。日航機の犠牲者の写真展に行ったこともある。今年、彼女はついに勇気を出して、遺族の住所を持っている会社にこの手紙を託した。「自分のこれまでの気持ちをご両親に伝えたかった」――四半世紀経って、木内夫妻は自分たちのもう一人の娘を見つけたのである!彼らはいつか一緒に御巣鷹山に登り、静子さんの霊を慰めたいと考えている。


この話を聞いた時、人は事件や事故の表面的事象にとらわれて、物事の本質を忘れがちであるということに気づいた。現実生活の中の突発的な事件は、往々にして我々の仕事や生活や人生までも変えてしまう。だが、果てしなく続く人生と、多くの人々の住む世界には、見えないところに何千何万という関係が隠されていて、時として我々の浅薄な感覚を超越するのだ。我々が願いさえすれば、一人ひとりの心の中で、自分を横田めぐみさんに置き換え、彼女のために、彼女の年老いた両親のために、明るく力強く毎日を生き、無数の「奇跡」を作り出すことができるのではないだろうか。

photo by Yao Yuan

ここにしか咲かない花 http://www.youtube.com/watch?v=gxZ8GtDr860