峯龍先生のブログをリブログさせていただきます。
 峯龍先生のブログ、是非ご覧下さい。
 参加させていただく回数を重ねて…やはり「確認の場」なんだなぁと深く認識します。
 武之礎講座で学び、各自が、各自の出来ることを振り返り、日々の練習。

 …自分で身体を動かしながら、思い出しながらの1ヶ月。…迎えた稽古日。
 自分では出来てるつもりでも、実際に稽古日に参加させていだき、全然出来ていない、誤認識にすら気づかされます😅
 『反芻』って凄く大切なコトですね。

 でも、伝承していくって、そういうコトだと思います。「正しくインプット」して「正しくアウトプット」する。

 「指定された稽古日だけ、ただ来てればいい」ではなく…
 日々の取り組みの成果が表れる故に、…石の上にも三年。
 それぞれ理解するペースはさまざまかも知れないけど、先生が伝えたい100%を理解出きるようにしていかないといけないと思います。
 言いたくても言えないこともあるのかも知れません。「場の空気を読む」。お手合わせ頂いた方の「意を読む」。…など、やはりその場にいないと分からない学び。そして、持ち帰り反芻しないと気づかない学び。

 先生の話を聞いたり、先生のお手本を見るのも勿論。
 自分が何処に着目すべきか?…先生方や先輩方の動きを観察して、教えていただいたり、吸収して、実践できるか?
 教えて頂いたことを、風化させずに、どう身体に染み込ませるか?
 気を感じることができるのか?

 …武術も、仕事も、修験道も…というより、生きるということは?という視点では、言わんとするところは一緒なのだと思います。

 …仕事であるなら…将来の目標を持ち、吸収する物を求めて、使命感やらハングリー精神を持ったり、求めるものを追い仕事に行く違いだったり? 

 …修験道では…「山伏になりたい」と思い始めた頃…何処にどう通えば「山伏」になれるのか…そんな、俗世的な『資格』として『カタチ』の「山伏」を追いかけていたんだろうなと思いました。
 日々の取り組みを、お互いに確認する場でもある月一の龍王祭。先生の伝えたいことを正しくインプットして正しくアウトプット出来るよう、よく聞いて、確認して…調和して。
 「仲間が居てくれる」ことは、「講の最大のメリット」でもあると思います。
 自分には不足している部分も、講の仲間がアンテナを張っていたり、得意分野をもっていたり…で、気付きも早まり…
 各自が自己研鑽しながら、足りない部分をお互いがカバーして切磋琢磨していく…。
 先輩だから大丈夫とかでもなくて…それぞれ、自身の確認。お互いの確認。集団の確認…そして、調和して、達成する…アチーバスみたいですね。
 『先達』に成るお許しを頂くまで(行者としてのスタートラインに立つまで)の3年間…一千余日の積み重ねは。
 ゆくゆくは講を、講の仲間を、袈裟筋を、自身の信仰等を…確り守っていくことに繋がるのではないでしょうか?
 夏の大峯修行の折に、先達補任して頂き、院主さんから直接、結袈裟を手渡される『結袈裟の本当の重み』なのかも知れないなぁと思いました。
 
 キセル乗車はあり得ないと先生が仰られるのはそういうコトなのだと思います。
 身・口・意を整えて、感覚を磨くには大変素晴らしい講座なのではないかなと思いました。
 日々精進ですね。

 合掌。