この日は、とうとう山上ヶ岳への御登拝。

 どんなことになるのか?


 朝、宿で朝食をとり💪、支度して出発🙏


 専属でガイドしてくださる山先達さんについていただき、講の先達さん2名もついてくださり、秩父の道場の皆さん。そんな素晴らしき仲間に恵まれて入山できることが既に幸せでした😊

 宿を出る時に、講の皆さんが爽やかな表情で送り出してくださった。やっぱり仲間って素晴らしいと思います😻

 やがて清浄大橋近くの遥拝所でお勤め後に、ふと山上ヶ岳の上の方をみて、色んな事が起こるんだろうな、でも変に感情に飲まれず、自然にチューニングしていこうと思いました。

 緑豊かな山道を歩くことしばらく、「一本松茶屋」に到着しました。

 そして、一本松茶屋の「行者堂」で皆でお行することになります。タイミングよく、直ぐ後に上がって来た数名の行者さんたちも「私たちも、一緒に混ざっていいですか?」と言ってお行に合流してくださいました。

 お行の最中、下山してきた行者さん達が自分たちの近く通過する足音を感じ取った。でも、…気づけば、一緒に読経して下さって、般若心経の気迫が変わったというのか、うまくは言えません。それはシガラミに囚われず、純粋にご神仏様に、そして御山の供養に一丸になって向き合っているようで、とっても美しいバラードのような感じに聞こえました。私はただその事がとっても嬉しくて、有り難くてお行が終わるまで涙が止まりませんでした。

 お行が終わったあと涙を拭いて、改めて、行者堂に手を合わせました。ありがたいな、このすばらしいお行はこの場にいる誰一人欠けても成し得ないものなんだろうなと思いました。

 そして、かけ念仏しながら、お助け水まで進みました。行きの道中では比較的序盤に位置するわけですが、…帰り道の時には、非常に有難い水(結構持ち込みの飲み物を消費して、下りが少くとも1時間近くあるようなので)になりました。


 最初は山先達さんのリードのかけ念仏でしたが、しばらくして、リードをローテーションしてのかけ念仏になり、これもまた初めてな光景に驚きながらも、それぞれのリードの声と気を感じながら、リピートしながら進みました。リードの人それぞれの、思いが詰まってるような気がしました。


 そして、洞辻茶屋でお行して、休憩してしばらく歩くと、表行場の難所「油こぼし」についた。よそうではもっとツルツル滑るのかなと思っていました。…でも昔の行者さんは、ワラジで進んだんだから、すごいですよね。そりゃ、雨が降れば油こぼしなんだろうなきっと。今は性能のいい靴だったり、丈夫で足裏も安定した地下足袋だったり。…現代の技術の集大成の上だからこの機動力がある。ありがたいな。・・・そう、難所の足周りの負担なく登れるのは、この地下足袋の性能のおかげだと思います😺


 そして、第二の難所「鐘掛け岩」に到着。

下から見ると直立してるような岩肌を登るんですね😱

 大所帯の講の皆さんが登っていらっしゃいましたが、途中に割り込みさせて頂けることになりました。

 大所帯の講の皆さん、割り込みさせて頂く私たちに誰一人として嫌な顔をせず、清々しい気持ちで送り出してくださいました。

 先行した人達の手足の置き場をよく見とかなきゃ、身動きとれなくなるなこりゃ😱😱

 大所帯の講の先達さん達も要所に控えて、アシストして下さった。あ、ありがたや🙏

 そして、何処に手足を置けばいいのやら一見わからない箇所に到達すると、山先達さんが竹の杖で事細かに手足の置場所と身体の動かし方を指南してくださる(これ、言うこと聞かないで勝手にやったら、足とか滑らせて落ちてくパターンだと思います😥)。

 ようやく難所をぬけて、もう一踏ん張りのところで、大所帯の先達さんも上から移動ルートの指示と励ましの声をくれた。

 感動してウルウルきましたが、ここで泣いては視界不良の滑落に成りかねない。行場を完全に抜けるまで気と手は抜けないと思い、岩の間を進みました。

 ようやく、鐘掛け岩のピークに来たときに、先回りしてた講先達さんたちや、先発した仲間たちが温かく迎えてくださいました。

 うちの講の先達さんもカッコいいし、鐘掛け岩でお世話になった大所帯の先達さん達の姿も輝いて見えました🙏

 私も、いずれこんな素敵な先達さん達みたいに、心身ともにカッコいい山伏になりたいな思いました。

 講の全員が揃って、少し進んだところで、山先達さんのリードで歌詠みをします。

 「鐘掛けと

  問うて尋ねて来て見れば

   九穴の洞を下にこそみれ」

 そうか、これが以前から先生がその存在を教えてくださった歌詠みなんだ。…深い。


「おかめ石 
  ふむなたたくな杖つくな
   よけて通れよ旅の心客」
 お亀石…囲まれています
 でも、すごいですよね。
 山の上のお亀石のところまで石を運んで囲いを作ったって、それが凄いと思います。この石柱の一つ一つ色んな講の名前が刻んであります。流石、信仰の山

 西の覗きでは、断崖絶壁に身を乗り出して、合掌し、日常のことを懺悔することになります。
 山先達さんと、講の先達さんが片足ずつガッチリ掴んで、両脇に挟み混んだ綱の先を講の皆が掴んでくれている。絶対的安全策を講じた上でのお行ですが
 正直、自分の視界から手元の斜面が見えなくなるまで身体を前進させると、流石に怖かったです。「もっと前、もっと前…」ズリズリィ…ぇぇ、マジで😱⁉️
 若干焦りながらも、身を乗り出しているとき、自分の弱さと、周りに助けられて生きていることをよーく感じられたように思いました。
 こうして、山先達さん、講の皆さんのお陰様で、ヒヤヒヤするも落ちることもなく西の覗きの行を終えることが出来たのでした。
 
 「ありがたや
  西の覗きにざんげして
   弥陀の浄土に入るぞうれしき」
 こうして、西の覗きの歌詠みが終わり、お世話になった山先達さんとお別れして、参籠所へ向かうのでした。
 

 今日は、この辺で🙇
 ご覧いただきありがとうございました。