つい先日 本屋で“永井豪×手塚治虫”という文字を見かけました。アレッと思って立ち止まると、『魔人王ガロン』とあります。永井豪が、手塚治虫の『魔人ガロン』をカバーしたんですね。(Amazon)
知らなかったなあ。
『魔人ガロン』は、手塚治虫が1959年に冒険王で連載を開始した少年向けのSF漫画。
人類の愚かさを憂えた宇宙人が、地球に「魔人ガロン」を送り込む……という、『W3(ワンダースリー)』と全く同じプロットを持った作品です。(描かれたのはガロンが先です。)
当時ガロンが、どれほどの人気があったのかはよくわかりませんが、『鉄腕アトム』にも登場してアトムと対決したりしているところを見ると、ある程度人気のある作品だったのではないでしょうか。
ところで、手塚治虫作品のカバーと言えば、以前このBlogでも紹介した浦沢直樹と手塚治虫のコラボ作品『PLUTO』が思い出されます。
しかし、浦沢直樹と永井豪では決定的に違うことがあります。
それは、永井は手塚にライバル視された過去があるが、浦沢はそうではないということです。
漫画というのは流行りすたりの激しいものですよね。しかし、手塚治虫は常に最先端でありたい、若者の人気を得たい、と願う人でした。「巨匠」の地位に安住して子供に忘れさられるなんて、我慢ならなかったんですね。
そのため、自身は既に漫画界の巨匠であるにも関わらず、自分よりはるかに若い人気作家の真似をして人気をとろうと試みました。劇画ブームの際には『カムイ伝』の白土三平に激しく嫉妬し、スポ根ブームの時には『巨人の星』や『あしたのジョー』に戦慄したのです。
とりわけ、劇画ブームによって「自分の可愛らしい丸っこい絵柄が通用しなくなる」と考えた手塚は、ノイローゼ状態になりながらも、たいへんな苦労をして劇画のタッチを体得しました。それが、『ブラックジャック』『どろろ』などの作品に活かされているわけですね。
さて、彼が脅威に感じたのは、劇画・スポ根だけではありませんでした。そう、手塚治虫はかつて、永井豪の『ハレンチ学園』の登場に非常に強いインパクトを受け、"新時代の訪れ" "新たな脅威"とさえ受けとめていたのです。
その証拠に手塚は、『ぼくの漫画人生』の中で、こう述べています。
教師は聖職である―この常識的な通念をひっくり返したのが、永井豪さんの描いた『ハレンチ学園』というマンガでした。
あまりにも破壊的な、退廃的な教師像に、大人たちはこのマンガに対して非難と怒りをぶつけました。ところが、子供たちは逆にこのマンガにとりつかれ、人気は絶大で作者はいちやく売れっ子になりました。そして、この作品によってマンガは新感覚時代に突入したとさえ言われています。
この大人と子供のギャップはどういうことでしょうか。
もしかしたら、当時、子供のあいだではすでに教師に対する不信感がおこりつつあったのかもしれません。ダメ教師に対する無言の反感が、この作品に拍手を送らせたのかもしれません。それに気づかずに建前の理想的民主教育をすすめようとしていた教師たちは、やがてしっぺ返しを受けるようになってしまったわけです。
手塚が、永井豪という作家に非常に強い印象を受け、脅威にさえ感じていたことが伝わってきますよね。
実際、永井豪がマガジンで『デビルマン』の連載を開始したのとちょうど同じ1972年に、手塚は少年サンデーで『サンダーマスク』という作品の連載を始めているのですが、これはデビルマンの影響を受けたとしか思えない内容です。しかし、無理に自分の作風と違うものを描いたためか、失敗している作品ですね…。(手塚にはこういう例がいくつかあります。)
手塚治虫と永井豪。
作風は、対極にあると言ってもいいくらい違うこの2人ですが、意外にも手塚は永井を非常に強く意識していた時期があったんです。(活躍していた時期もかぶっていますし、実際に面識があると思います。)そんなわけで、永井豪が手塚治虫をカバーしたというのは、これまた非常に感慨深い出来事なのでした。
しかし、私は永井豪がそれほど好きではないので、この『魔人王ガロン』はあんまり読む気がしませんでした。ごめんなさい…。