最後に書いたのがいつかはわからへんけど、だいぶ久しぶりに書いてるんやと思う。多分。
やっぱり、日々感じたこと、学んだことは何気ないことでもあとでどう繋がるかわからんし、できるだけ毎日こんな形でもメモっていくのって大事やなって半年前ぐらいに実施したアンケートのデータ急遽欲しなったのに残ってないことに気づいて思った。
なので、今日からまじで可能な限りここになんでもかんでも書いていこうと思います。
俺がする失敗が誰かのヒントになったり、学びが誰かの知識になればいいなぁとかちょっと思ってたりもしてます。
最近は、48時間稼働からの6時間睡眠サイクルがループしてる。
しかししかし、もう体がそうなってしまったのか、授業中もあんまり寝ない。
でも、サッカーしとった時より、今ってほんまはコンディション気にせなあかんのやろなって思いながら今日も夜な夜なパソコンと格闘してました。
最近は、エンジニアとしてのレベルが以前に比べてだいぶ上がってきた気がする。
pythonからswiftに完全転換して、ネイティブアプリを開発中やけど、たまに全く意味わからん起こったりするけど、それ以外すぐ機能を実装できる。
ただただググ力が上がっ他だけかも知らんけど、やとしたら、ググ力ってほんまに大事やなと思う。
なんか最近、考え方が非常におかしくなってきてる。
今日はタバコの煙見ながら、人間の死を連想した。
煙がよくわからんけど、自然の法則に則ってパァ〜ってどっかにいくのを見て、まじで人間が死ぬのも煙が上がるのも同じ事象やねんなぁとか思っちゃったり。
橋の柱にぶつかりながら流れる川を見てたら、スクランブル交差点を歩く人たちをスタバの二階から見てるかのような感覚にとらわれたり。無意識に行動が決められてる感じ。そっくりやった。
今でも俺の課題は定量と定性のバランス。
ビジネスにおいて、定量的なことって何よりも大事やし、それが全てとも言えるかもって感じの本とか評価基準とかやけど、
いったい本当にそうなのでしょうか?って疑問がずっと頭から離れない。
これほどにも定性的な判断、考えが故に結局うまくいかなかったのに。
でもほんまに、定量的なことは大事なんやけど、それやったらフェイスブック(ぐらいの大企業)が世界最強ちゃうかな?って思う。みんな一つの答えにたどり着くし、いや、それがビジネスか。
なんやろ、俺は勘違いしてる。
ビジネスとアートがごっちゃになってる。
よく考えたら俺がプログラミング始めたのアーティストになりたかったからや。
てか、自分に自身があるからそうゆう考えになるんやろな。
過信モンスターかも知らん。
でも自分が世界一やと思わんかったら、意味ないやん。
普通に道歩きながら通りかかる人も世界一の何かやし、この前の歯医者のお姉さんも何かの世界一やし。
みんなそうやし、俺絶対それ見つけれる自信ある。だから一緒にアプリ開発してるメンバー全員ロナウジーニョやと思ってるし、
みんなにそう言ってる。女の子にはミランダカーってゆうつもり。
なんか話バラバラやけど、どう締めよ。
2018年も残すは3ヶ月ぐらい。早いな。
俺はあんまりなんとも思わへんけど、年内に何かと小さなことでもいいから結果を出したいな。
よし、宣言しよ。
2018年内に、SNSアプリ一つリリースします。
あわよくば、もう一つのアプリも年内にリリースする。
今は、アプリ開発2つ、hardware massiveの仕事、その他数個のことを気合いモンスターモードでやってるから、正直しんどいけど、まだまだ俺にはイージーや。もっとすんごい壁きてほしい。
薄っぺらい内容になってもたから、最後に今年の8/6になんか謎の紙に書かれてた文章を書きます。
さっきたまたま見つけたけど、なんか面白かった。理解できひんところいっぱいあるけどそのまま書きます。
私は、喋らなあかん!わからなあかん!
自己表現の一つの手段としてテクノロジーかじった!
今じゃ本来の良さが消えてる!
既存の概念ってのは怖い。
時間ってのは、過去か未来かじゃない。
既知か未知かや。分かり切った未来は本質的には未来じゃないかもね。
未来の本質は未知なところにあり、過去の本質は既に認識できるところにある。
人は未来に怯え、未来にワクワクする。
上古湯がこれを左右する。
最近は過去を切り取りみんなと分かち合う人が増えてきた。
人は皆、利己主義だ。
他人のことを想う、他人のためなど自己最適でしかなく、その自己最適とは自分が「死」から一番遠ざかるための自分の想うベストな手段。
一度っきりと言われているこの人生で、たった一度・一つしかない「自分の人生」を簡単に捨てたりやしない。
10億円の買い物をするよりも、死ぬかどうかって方が悩むものだ。
「死」って、本質的には一番未来でいつか来る。
みんな死にたくないんよね。
本当に全世界の人々に共通するのってこれかな>
人間の行動ってのはこの考えに基づいて全て行われるし、この考えでほとんど説明がつく。
そもそも人生一度きりとかほんまか誰も知らんし。
みんなが幸せを味わいたいのは氏から一番遠い感覚的いちにいることができるから。
「死」の対義語は「生」じゃなくて、「幸」です。
てかみんな幸せやから、幸せなんじゃない。
死なない安心感の大きさをJSONで変換してるの。
ってなると、永遠の人生って、ずっと生きるって、ずっと幸せを享受すること?
あ、平凡がいかに幸せかってまさにこれ。
仕方いかに平凡が遠いか改めて確認できる。
過去にワクワク、期待はない。
後悔、満足など結果が生まれる。
未来には後悔も満足もない。
ワクワクや期待、不安や恐怖がある。
真逆のようだがm過去と未来は常にサイクルしており、接している。
「今」はないし、全て過去。未来に一番近い過去がが多分「今」、もしくはその逆。
みんなが過去に気を向けるのは人間として自然なこと。
ただ時間ってpast to futureって方向で、みんな死ぬ、人生一回の理論からすると、生まれてから死ぬまでのことは全て過去になるんよね絶対。
過去になる未来を置く場。
満足の過去を提案し、賛同し決まった未来は全て過去で、それは満足したようなもの。
人間は幸せでありたいから、満足したいもの。
誰も後悔なんかしたくない。
おそらく、これはアプリを作りながら時間とか人とか人生とかそこらへんのことについて感が過ぎた時期やわ。
はぁ、長かった。
おーわり。