いつもと違う道。雲間に覗く光。
導かれるようにして辿り着くものを必然というのなら、人はどれほど多くの必然と出会えているのだろうか。
何かの結果が今の場所で今抱いている気持ちがこれから行く道だとしても、実感などないまま時は過ぎまた同じような道を歩いている。
あやふやな日常に惰性を帯びた時間が重なりあった時、物事の善し悪しは絶妙に作為され、そして取り繕われてしまう。そして、流れてゆく後悔も滞る満足も、まるで雨に降られたかのように濡れてしまう。
木漏れ日は優しく、光が作る色も影も一人では見る事の出来ないことをそっと教えてくれる。いずれも光を信じた先にしか新しい道がないこともまた愛しさが教えてくれるのだろう。
