「そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」 

 

加納は無教養で、この話も65歳になるまで知らなかった。 

国語が得意、というふれこみで一丁前に塾の先生を十年以上やったが、それも場末の末端塾だから成立しただけのこと。 

 

で、この話、ヘルマン・ヘッセの短編『少年の日の思い出』も、中一生が付け焼刃の中間テスト対策で持参した教科書に載っていたもの。 

生徒には、この中身はまったく理解できない。講師(加納)も初めて読む。 

 

だが、講師はいたく感動した。 

それはもちろん65歳の人生経験ゆえ。 

それだけに、「こんなむずかしい話が中一にわかるんかいな?」というのが加納の率直な反応だった。 

これが、国家検定を受けた義務教育の教科書に、七十年ちかく載っているというから驚きだ。 

もちろん、今も載っている。 

その理由は、理解できようができまいが、頭脳が柔らかいうちにいいものを刷り込んでおく、という教育の大事なあり様だろうと思うで、それは、まあ、よい。 

 

あらすじは簡単で、昆虫採集・標本づくりを趣味とする少年と、そのお手本ともいうべき標本づくりの達人の友人との交流だ。 

 

ある日少年は、その友人がいない間に彼の部屋に忍び込み、友人が幼虫から羽化させ丁寧に標本にした憧れのクジャクヤママユを、まちがってつぶしてしまう。 

 

それが見つかったとき、友人が言い放った有名な言葉が、今回の論考のタイトルだ。 

 

「そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」 

 

この言葉は、なぜか強烈に心に刻み込まれた…。 

 

 

※今回は、諸事情により、前後半に分けます。 

後半は、次週に。