のぼせるということ
Aとは、留学先で出会って半年間を良い友達として過ごす。
それから2年半、変わらずにメール、手紙、贈り物をくれていた。
私は失礼なほどにほとんど返事をしていない。
香港にわざわざ会いに来る。
いつでも変わらないその誠実さに心を打たれる。
こんな私に、卒業後、一緒にアメリカに移住しないか、と言ってくれる。
その申し出は、私の夢なのだから、本気ならとても嬉しい。
誰にでもえらく優しい。国では相当の金持ちの息子らしい。
みんな、からかい半分に、玉の輿、と囃す。
金持ちという言葉に惹かれる卑屈な自分が嫌だけれど、そんな腐った一面、否定できない。
顔も男らしさも心の深さも、彼氏の方が、と比べたりもする。
それとは全く関係なく、香港での一件により、大感動。
変わらぬ誠実さに応えるほど大事にしたいと思った。
でも。
単純に、良く見える条件、優しい言葉、輝かしい将来、それで勝手に熱くなっていた。
そんな単純なことに、はまり続けている私。
彼氏がかなりの好条件であることを合理的に計算したことも否定しない。
そしてその変わらぬ愛情、幸せな将来を、確信したはずなのに。。
ふと、気づいた、彼氏にある当たり前のセンスがAにはないこと。
責めていいわけない。勝手な思い込みで彼をパーフェクトとのぼせていた訳で。
それ故にむしろ普通の言葉に過剰に反応する私。
なんなんだろう。
彼の誠意に応えるほど優しくなりたいと思ったばかりではないか。
真摯な態度がありさえすれば、冷静な判断が出来れば、あんな手紙を贈るべきではない。
一見誠意を尽くしているように見えるが、実は自分像を巧妙に造らせ、思わせぶりな言葉で逃がさないようにする、全く独り善がりな手紙。
Aを、理想的伴侶、私の夢を叶えてくれる・・・と眩くも仕立て上げてしまった。
この5年間、彼氏に変わらず愛された結果、その愛情は無償でかつ、誰からも得られるもののように勘違いしている。
私のわがままを、自分の話を理解してくれることを、当然と思っている。
何ておこがましい態度。
・・・このままでは、私は、どこにも行けない。そんな気がする。
距離的なことでも、彼氏から離れるかとかいうことでもなく、
ただ、自分の心の弱さへの拘泥から逃げられない気がする。
他人を弱さを押し付ける受け皿として、利用しているその態度から、向上心が見られないのだ。
なんとも、言いがたい。
このままぬるま湯に居続けることは、私の心を堕落させるだけではないか。
彼とは全く関係なく、一人の人間として強くなれるように、独り立ちすべきではないだろうか。
それで、彼氏なり、Aなりに真っ向から接してみた方がいいのではないか。
もともと、彼氏と会うまでは、誰に対しても見返りを期待せず、真摯に対する意志が強かった。
孤独と自信喪失からくる謙虚な心。
そんな状況に陥るわけもなく、怠惰でわがままな心が変われるのだろうか。
気づいているうちはまだいい。
気づかぬうちに、人に嫌悪され、いつしか捨てられることへの恐れ。
そもそも、人を傷つけたくないという思いさえ、嫌われることへの恐怖からの裏返しである。
このことに初めて気づいた12年前から、この偽善への認識はぐるぐると何度も巡ってきて、自己嫌悪に陥らせる。
私を好くあの人は、神の道しるべに侍る心の美しさを見ているのだろうか。
それとも、すがる心の弱さを愛しく思ってくれるのだろうか。
人を利用しようとする汚い心、怒りとともに人をも殺しかねないこの凶暴な感情、それぞれに私のコアだろうけど、これをどこの他人が理解してくれるだろう。
暗く重すぎて、いつまでも囚われていることに、自分さえ辟易するのに。
オプティミストな彼氏は、滑らかにかわし、私の見ている道しるべを信じてくれている。
私が今更言うのも何だが、信じていい人に、出会ったと思う。
それを今更、本当に今更。
彼の恐れたように、あっさりと夢のためなら、絆を踏み捨てていきそうな私。
しかも、Aのことを彼より好きになる自信は全くないのに、ただ利用しようとしているの?
私の心はわからない。
フラフラと流されている。義理や思いやり、理性などなく、漂っている。
新しい接近者、Aの登場、再認識にのぼせている。
嫌われたくない、そんな思いで誠意が生まれるというのなら、どんなに楽だろう。