『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

 

 

                    Adieu Romantique No.711

           『僕は喫茶店とコーヒーと雑誌が好き

                    ~冬の陽だまりの喫茶店にて~

     

植草甚一の名エッセイ『僕は散歩と雑学がすき』のタイトルを引用し、シリーズで書いている『僕は喫茶店とコーヒーと雑誌が好きの続きで。

 

季節は極寒の冬。僕自身は夏の生まれなので、いくら暑くても手が千切れそうになる冬よりも夏の方がずっと好きだ。

 

休日の冬の朝は、とても温かく心地いい布団にくるまって、しばらくの間、ぐずぐずとしてしまう。そうして微睡みから覚めると、ようやく僕はベッドから抜け出すことを思い出す。今日は天気がいいので、いつもそうするように散歩にでも出かけようと思う。軽い朝食を済ませて本棚から適当に抜き取った古い雑誌を1冊だけリュックに詰めて出かける。いつも立ち寄る喫茶店の前で足を止め、静かに扉を開けて中に入る。

 

店に入ると僕は窓側の席に座り、コーヒーを注文する。窓からは冬の柔らかな光が射し込んでくる。そうして僕はテーブルに置かれたコーヒーをひと口かふた口飲み、持ってきた雑誌をリュックから取り出してパラパラとページを捲り始める。

 

いつもと同じ休日の朝。取り立てて何も起こらない。だけど。平日はいつも慌ただしい時間を過ごしている人間にとって、まるで時間が止まってしまったような喫茶店で熱いコーヒーを飲みながら古い雑誌のページを眺めるという、そんな何気ない日常の中で感じるささやかな幸せを、村上春樹『村上朝日堂~うずまき猫のみつけかた』『ランゲルハンス島の午後』の中で「小確幸」(しょうかっこう)と表現している。うん、そう。村上春樹が表現すると、どんな些細なことでも何故だかとても意味があるように思えてくるのが不思議だ。「小確幸」と表現されると、確かに小さな幸せをしみじみと感じたり。

 

音譜店内には音楽が流れている。昭和の古ぼけた喫茶店によく似合う音楽が。日本のロックの起源はっぴいえんどが解散する直前に、細野晴臣が制作・リリースした傑作ソロ・デビュー・アルバム『HOSONO HOUSE』から『僕は一寸』

 
 音譜同じく『Hosono House』のリリース50周年を記念したカヴァー・アルバムからジョン・キャロル・カービィ【John Carroll Kirby】による細野さんの曲『福は内 鬼は外』ft.Mizuhara Sisters(水原希子佑果姉妹)が流れてくる。もう節分は終わったのにな、って思いながら僕はその曲に耳を傾ける。

 

📖さて、と。今日、出掛ける前に本棚から抜き取って、リュックの中に突っ込んできた雑誌は前回と同じく「STUDIO VOICE」(この雑誌の詳しいことは前回のシリーズ記事に書いている)。その2000年8月号『萩原健一 ~ショーケンと呼ばれた男』。1960年代後半にGSの人気グループとしてデビューしたザ・テンプターズのリード・ヴォーカル、ショーケンこと、萩原健一の特集号。因みにショーケンは高校の時に付けられたニックネームである。もともとテンプターズの頃から独特の存在感があり(その後に出てくるフォーリーブス郷ひろみ西城秀樹とはまったく異なるタイプのアイドルだった)、映画や音楽を通して徐々に(自覚的というより、もともとそういう資質を持っていて、恐らく無自覚に)その個性的なスタイルを完成させていく。

 

ワイルドで破天荒なのに少年のようなナイーヴさや繊細さを内包し、(世の中にも女性に対しても)どこか「甘え」のようなものを魅力に変え、無造作にブランドのスーツを着こなしていて、スタイリッシュなんだけど、海外の誰にも似ていない、謂わば日本オリジナルの雰囲気や佇まいがあって、東京のカッコ良さと大阪の人間臭さがない混ぜになったような独特の感じも。音楽ではやさぐれた感じやロマンティックな感じを、そしてLiveではロック的なダイナミズムや振り切ったような魅力を発散した。

 

時に情けなくカッコ悪いのにすべてをカッコよく見せてくれる、その感じ。とてもシンプルなのにややこしくて。何だろう?ショーケンの魅力。だけど大好きなんだ、ショーケン。

表紙は複数の映画監督が入れ替わるように制作されたTVドラマ『傷だらけの天使』のタイトル・バックでのショーケン。

 

そして表紙といくつかのページを捲ると、萩原健一という大きな活字の脇にこんな言葉添えられている。

 

会ったことなどなく、TVのモニターや映画館の銀幕に映っていただけなのに、どうしてなのか、その笑顔や仕草を忘れることができず、しかも、たぶん生き方や走り方まで変えてしまう力をもっていた男

 

酔えばいつでも頭の中でそのメロディが鳴り出してしまう、そんなふうに歌を、ただの歌ではなくしてしまえる男

 

いつまでも残るフィルムには秘密があり、それを空気のように纏ってきた男

 

ショーケン、と言葉にした瞬間、場が変わる何かを知るためのひとつの試み

 

そしてショーケンのロング・インタビューがあって、続いてショーケンと仕事を共にした人たち、映画監督の工藤栄一深作欣二、俳優の岸田今日子室田日出男うじきつよし、ミュージシャンの大野克夫井上堯之らのインタビューが並べられ、ショーケンの魅力を語っている。

 

確かに。確かに僕もショーケンに添えられたこの言葉に「うん、うん」と素直に頷ける。だけどこのショーケンの特集が編まれたのは2000年だ。そしてショーケンは2019年に鬼籍に入り、その後、7年が経とうとしている。今、ショーケンの歌が流れることなんてないし、ショーケンの曲をカラオケで誰も歌わないし(僕はカラオケはあまり好きじゃないけど、どうしても歌わないといけない時には『大阪で生まれた女』BOROのオリジナルの方じゃなくショーケン・バージョンで歌っている)、ショーケンの映画を観る機会なんてないだろうし(僕は『約束』『化石の森』青春の蹉跌『アフリカの光』も映画館でちゃんと観ている)。規格外や想定外が受け入れられ難い今の時代に。ショーケンの魅力を「再発見」し、ショーケンの魅力を僕なりに伝えたいと思う。


📷️若きショーケンのポートレイトをいくつか。

 
 
 

音譜店内には、音楽が流れている。はっぴいえんど解散直前に細野晴臣が結成し、自身のソロ・デビュー・アルバムのバックを務めた(但しクレジットはなかった)キャラメル・ママ(後にティン・パン・アレーに改名)に参加したギタリストでありSSWでもあった鈴木茂が書いた素敵な曲『100ワットの恋人』が(作詞は松本隆)。

 

ふたりしみじみと話したかったの

 

きみの早口 マシンガンのようさ


ショーケンが

どんなに素敵かを話しては
頬そめてウットリ

 

僕の顔を見て我に返ったの

 

そう、当時の女の子はこんな感じだったかも。そして男の子はショーケンの仕草や話し方をマネしては鏡を見てふと我に返ったんじゃないかな。

 

それじゃぁ、雑誌をパラパラと眺めながら、僕自身の記憶を辿り、雑誌の記事と重ね合わせながら、時代を追ってショーケンの魅力を書いていくことに。
 
ザ・テンプターズ時代の(所謂、GS時代の)ショーケンは、まさしくアイドルだった。ザ・タイガースジュリーこと沢田研二の人気には及ばなかったものの、もともとザ・テンプターズ時代のショーケンはビートルズではなくローリング・ストーンズに憧れ、ブルースを演りたかったという(ザ・テンプターズはホリプロ系列のプロダクションと契約していたので、自分たちの好きな音楽を自由に演れなかったし、GSという人気ジャンルのカテゴリーからは抜け出せなかったんだと思うなえーん)。
 
当時のショーケンはこんなことを言っている。
 
「さぁ、デビューだという時から変なアップリケが付いたヒラヒラのユニフォームを着せられてさ。アレには参った。恥ずかしくてイヤだった。すっごくイヤだった。ほんとにイヤだった。アマチュアの頃のザ・テンプターズはそんなバンドじゃなかった。僕が参加した頃はまだ素敵なブルース・バンドだった」
 
音譜タイミングよくザ・テンプターズの曲が流れてきた。ヒット曲じゃないところが憎いよね。フッカー・ジョン・リーのブルース・ナンバーのカヴァー『ブーン・ブーン』(但し、歌っているのはギタリストでソングライターだった松崎由治)と、バンドのヒット・シングル『おかあさん』のB面に収められた、ちょっぴりストーンズな感じがしないでもない『秘密の合言葉』。因みに当時、僕はまた子供だったけど、その『おかあさん』や『エメラルドの伝説』なら空で歌えたりする。

 

 

🎨当時のショーケンはアイドルだったので広告にも登場する。森永製菓エール・チョコレート【YEEL】。これが例の、イヤでイヤで仕方なかった、変なアップリケが付いたユニフォームかなうーん
 
そしてやがてブームは去っていく。それは世の常だ。その後、野口ヒデト若松愛が率いたザ・オックスに人気が移行し、デイヴ平尾が率いたザ・ゴールデン・カップス星勝鈴木ヒロミツが率いたザ・モップスなどのサイケデリックを標榜したグループなどが人気を集め、多様化し始めるとジャンルとしてのGSは徐々に衰退し、1970年にブルースの聖地メンフィスで録音した(但しショーケンだけが渡米し、他のメンバーは来なかったという)アルバムを最後にザ・テンプターズは解散する。
 
そして1971年。ザ・テンプターズとほぼ同時期に解散したザ・タイガースの沢田研二岸部修三(後の岸部一徳)、ザ・スパイダースの大野克夫井上堯之、そしてザ・テンプターズからショーケン大口広司が参加したスーパー・グループ、PYGが結成される。今では考えられないほど豪華なメンバーだけど、もう一度、時代の最前線に返り咲く夢ジュリーとショーケンのWボーカルという触れ込みにも関わらず、ジュリーばかりが目立ってしまってショーケンとしては存在感を見出せないままバンドを抜け、その後しばらくはジュリーのバンドとして活動したものの結局は、GSの仇花に終わってしまう。

 

📷️当時のPYGの写真を。やっぱりカッコいいよね。

 

音譜そのPYGの唯一のアルバムから。ショーケンとジュリーのWヴォーカルが堪能できる(だけどサビはジュリーが歌ってる)曲『自由に歩いて愛して』。アルバム全体としてはGS以降を感じさせるニューロックな仕上がりで決して悪くないアルバムだと思うし、アルバムのアート・ワークも、ブタのイラストの鼻を押すとブタが鳴く仕様になっていて(もちろんデジタルで、じゃなくアナログで)可愛かった。
 

 

当時のショーケンはこんなことを言っている。
 
「PYGでは自分を表現できない。ここには自分がないんだ。自分がない、自分がない、自分がない」
 
🎦俳優としてのショーケンは、テンプターズ時代に歌謡映画(昔は大ヒット曲が出れば、その曲を元にした映画がすぐに制作された)『ザ・テンプターズ~涙のあとに微笑みを』に出演した後、辺見マリのヒット曲の映画化『めまい』ザ・ドリフターズの映画『春だ ドリフだ 全員集合 ! ! 』などの小さな役で出演した後、1971年には憧れていた映画監督斎藤耕一が撮ることになった松竹映画『約束』の3番目助監督として制作に参加することに。
 
この時、主演女優はまだ決まっておらず、そのせいでスケジュールが狂い、決定していた主演の男優が役を降りたため、制作は難航する。そんな状況の中でショーケンはフランスの映画監督イヴ・シャンピと結婚し、日本とフランスを行き来していた大女優・岸恵子に映画の脚本を送るというアイデアを提案する。一か八か。ダメ元で送った脚本に岸恵子からは好感触を得たものの、条件として共演する男優の写真を送ってくるように言われ、現場は再び混乱する。そんな中、今度は斎藤耕一から苦肉の策としてショーケンの写真を送ることになり、結果、岸恵子は主演を承諾、ショーケンもまた、主演俳優としてのその演技に高い評価を得て、俳優の道を本格的にスタートさせることになった。
 
🎦因みに。1975年には、後に高倉健出演で『南極物語』を撮る蔵原惟繕【くらはら これよし】『雨のアムステルダム』で再び岸恵子と共演することに。

そしてその勢いそのままに。ショーケンは、石原裕次郎が主演する日本テレビ系の刑事ドラマ『太陽にほえろ!』マカロニ刑事・早見淳役を演じることになり、第1回目の放送でジープに乗って颯爽と登場する。カッコよかったんだな、これが。だけど、今どきのTVバラエティーでは『太陽にほえろ!』と言えば、マカロニ刑事が立ちション中に(今ならそれだけでNGになるシーンだ)通りすがりのチンピラに刺されて死んでしまうシーン(殉職ではなく「犬死に」のように地味に殺されるのがリアルだとショーケン自身が提案した)よりも、マカロニ刑事の後に七曲署に配属された、Gパンこと柴田純刑事(松田優作)の殉職シーンしか流さないのは、どういう訳だ?


因みに。第20話『そして、愛は終わった』では、ジュリーが犯人役で友情出演。マカロニ刑事が初めて犯人を射殺してしまい、犯人役のジュリーに寄り添い(もともと台本にあったかどうかは分からないけど)「ごめんなさい 目を開けてくれよぉー」と謝りながら吐き出すシーンが強烈な印象を遺した。

 
🎦『太陽にほえろ!』では、ショーケン自身は自分の演技がマンネリ化することや、劇中、SEXが描かれないようなドラマにリアリティはないと感じていて、早い時期から降板を希望しつつ、結果的に人気絶頂の頃にショーケンは役を降りた。

そしてそのショーケンを主役に『恋人たちは濡れた』『一条さゆり 濡れた欲情』などの日活ロマンポルノで注目を浴びていた神代辰巳【くましろ たつみ】が1974年に撮った青春の蹉跌』【せいしゅんのさてつ】はまさに1970年代的な、あまりに1970年代的な、1970年代という時代をそのまま真空パックしたような青春映画として映画史に刻まれる。共演は同じく70年代に最も輝くことができた女優のひとり、桃井かおり
 
📺️そしてTVドラマ『傷だらけの天使』だ。タイトルは後に『ウェストサイド物語』を撮るロバート・ワイズが1956年にポール・ニューマン主演で(共演は後にジェームズ・ディーンの恋人になるピア・アンジェリ)制作した映画『傷だらけの栄光』からの引用。内藤洋子の主演デビュー作『あこがれ』を撮った恩地日出夫神代辰巳、東映の「集団抗争時代劇」というジャンルを代表した工藤栄一『仁義なき戦い』を撮った深作欣二ら、一流の監督たちが入れ替わるように撮り(監督の人選もショーケンからの要望だった)、ある意味、競い合った。衣装デザインはこれ以前からショーケンの呑み友達だった菊池武夫、衣装提供は菊池武夫が創設したMen's BIGI

それにしても。とにかく主役のオサムちゃんこと小暮修(ショーケン)と相棒役のアキラこと乾亨(水谷豊)のコンビの魅力的なことといったら。このコンビはジョン・シュレシンジャーが1969年に撮ったアメリカン・ニュー・シネマの傑作『真夜中のカーボーイ』ジョー(ジョン・ヴォイド)とラッツォ(ダスティン・ホフマン)のイメージが重なる。因みに。このドラマで水谷豊が主演することになったのは、もともと『太陽にほえろ!』の第1回目でマカロニ刑事が最初に捕まえた犯人役が水谷豊だったこともあって(それ以前は手塚治虫のマンガを実写とアニメーションをMixtureしたTVドラマ『バンパイヤ』の主演を務めた)、ショーケンが軽く「彼でいいんじゃない」と推薦したから。そして、このドラマには主演のふたり以外にも同じくらい重要な存在として超個性的な俳優人が脇を固めている。岸田今日子を始め、彼女の実際の従弟に当たる岸田森ホーン・ユキ西村晃。毎回、異なるゲストには 緑魔子、中山麻理室田日出男吉田日出子、関根恵子、桃井かおり…。もう全員ヤバいって。過去も現在も含めて、こんなにも個性的で、スタイリッシュでカッコいいTVドラマを僕は知らない。

この人気ドラマは今では伝説になっているのでストリーミングやDVDでも見れるかも知れないけど(もちろん観たことがない若い人には是非、観てもらいと思いつつ)、僕自身はリアルタイムで観て強い影響を受けてしまっているので、今さら観返してしまうと逆に何か大切なものを失くしてしまうような気がするので、多分もう敢えて観ることはないし、心の中で思い返すだけでいい。
 
 

音譜ザ・スパイダース井上堯之バンドによる『傷だらけの天使』のテーマ曲が流れると、ドラマの鮮烈な、あのタイトルバックが浮かんでくる。因みにこの映像は第26話に当たる、工藤栄一が撮った最終回『祭りのあとにさすらいの日々を』から。

 

因みに。ドラマの中ではショーケンの弟分を演じた水谷豊はその後、実生活ではショーケンではなく、松田優作を兄貴と慕い、とても仲が良かったという。


📺️その後、ショーケンはTVドラマ『前略 おふくろ様』(1975)『祭りばやしが聞こえる』(1977~78)などの名作に主演するものの、振り返ると僕の中ではやっぱり『傷だらけの天使』を超えることはなかった。

音譜柳ジョージ&レイニーウッドによる、『祭りばやしが聞こえる』の素敵なテーマ曲を。

 

🎦一方、映画の方でも市川崑が1973年に撮った『股旅』野村芳太郎『八つ墓村』(1977)、世界の黒澤明が撮った『影武者』(1980)、ジュリーと共演した鈴木清順『カポネ大いに泣く』(1985)、神代辰巳『恋文』(1985)などの名作に主演し、人気俳優として常に輝いていた。
 
📷️私生活では、1980年に歌手のいしだあゆみと結婚し、話題を集めた(1984年に離婚)。
 
🎨過去、日本の写真週刊誌「FRIDAY」のカメラマンに暴力を振るって2度逮捕されたことがありながら、同じような写真週刊誌「FLASH」の創刊の広告に出たことも。まぁ、ショーケンが、と言うより、ショーケンにオファーする出版社の方があざと過ぎると思うけど。そう。これに限らずショーケンには今だったらあり得ないようなダーティなエピソードがたくさんあり過ぎるし(他でも度々、逮捕や起訴されている)、ショーケンは、もしかしたら何でもありの「昭和」という時代にしか輝くことができなかった人間なんじゃないかな、と思ったりうーん
 
音譜音楽は1975年のソロ・デビュー・アルバム『惚れた』から、ショーケンの短い台詞から始まる、ちょっぴり小林旭的な感じがする曲『お前に惚れた』と、『傷だらけの天使』の弟分アキラのSEが入る『兄貴のブギ』

 

 

 

🎨明治製菓のチョコレート「デュエット」【Duet】の広告にも。コピーはアルバム・タイトルからの引用だろうか。

 
その後、音楽はソロ・アルバム「ナジャ」【Nadja】三部作で歌手としての地位を確立した。まぁ、だけど「Nadja」という言葉はシュルレアリスムの法王アンドレ・ブルトンの著作のタイトルであり、ショーケンがブルトンの「ナジャ」を読んでいたとは思えないので、周りの誰かから教えられた言葉の響きに惹かれて使ったんじゃないかなと思うなうーん

音譜柳ジョージ&レイニーウッドがバックを務めた、1979年のLiveを収めた傑作2枚組アルバム『熱狂・雷舞!』から『大阪で生まれた女』を。ショーケンのLiveパフォーマンスは演劇的で(と言ってもシアトリカルという表現は当て嵌まらない)、ショーケン自身の俳優としての演技と同じような熱量で、どこまでが計算で、どこまでが偶然の産物なのかが分からないが故に(多分、本人にも分からない)、スリリングに展開し、聴き終わると、完成されたひとつの芝居を見たような充実感と興奮が残る。

 

 🎨90年代かゼロ年代に、このアルバムのカヴァー写真が

Tower Recordの広告にも使われ、「私はまだ自分に飽きていない。だからまた、違う自分に会える」という希望に満ちた言葉を残した。

 

音譜さらに1980年のアルバム『DONJUAN LIVE』から。アメリカのコーラスグループ、ドリフターズが1960年に歌い(メインボーカルはベン・E・キング)、日本では越路吹雪が歌った名曲『ラスト・ダンスは私に』を。このロマンチックな曲をショーケンはWギター(元フラワー・トラヴェリン・バンド石間秀機速水清司)、Wドラム(原田裕臣田中清)による分厚くうねるような、DONJUAN ROCK'N ROLL BANDの演奏をバックに(個人的にはボブ・マーリーのLIVEアルバム『バビロン・バイ・バス』の、ザ・ウェイラーズの演奏に影響を受けていると思ってる)誰にも真似ができない独特の感受性で歌っている(或いは、演じている)。本来の歌詞を替えて「ロックンロールは◯麻みたいに心を酔わせるの」(瞬間、◯の部分の音が消されてる)と歌うフレーズもまたボブ・マーリーの影響なのか「ガンジャ」をイメージさせつつ、完全に振り切っていて、めちゃくちゃカッコいいとしか言い様がないもぐもぐ

 

 

ショーケンの魅力についてどこまで伝え切れたかと言えばまったく自信はないけど。ショーケンとは、つまり僕の子供時代から思春期と重なる1970年代の象徴であり、それ故、僕にとっては永遠に色褪せることのないノスタルジアでもあり、大切なロマンティークなのだ。


気が付けばコーヒーカップの中は空になり、すっかり乾いてしまっている。「たった一杯のコーヒーで長く居過ぎてごめんなさい」と心で呟きながら雑誌を閉じ、ため息混じりにひと呼吸おいて僕は席を立った。

 

それじゃぁ、また。

アデュー・ロマンティークニコ