『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

 

 

                     

                    架空ポップカルチャー・マガジン

                『アデュー・ロマンティーク』No.8

          ~特集 : ファクトリー・ガール

                         イーディ・セジウィックの光と影~

         

今週の『Adieu Romantique』の表紙は、アンディ・ウォーホルのミューズであり、ファクトリーのスーパー・スターだったイーディ・セジウィックのCUTEさと、ウォーホルのアトリエであり、さまざまな人たちが集うサロンでもあったファクトリーのCoolなイメージをMixtureして表現してみた(くれぐれも石油原料節約の表紙ではないので)。だけど今回はChat GPTと何度も何度も訂正・変更したにも関わらず(Chat GPTに嫌われるんじゃないかと思ったほど)、なかなかイメージ通りにならなかったけど、どうにか落ち着いたという感じに。必要以上に苦労したのは、それはきっと僕のイメージが明確ではなかったせいで的確な指示が出せなかったことが要因。そこは次への修正ポイントにしたい。
 
『特集 : ファクトリー・ガール 
               イーディ・セジウィックの光と影』
 

ファクトリーと言えば、ウォーホルが1964年にNYに構えたロフト。ウォーホルが自身のシルクスクリーンやアンダーグラウンドの映画を制作した工房であり、ロイ・リキテンシュタインロバート・ラウシェンバーグジャスパー・ジョーンズデヴィッド・ホックニーなどのアーティストの他、大作家トルーマン・カポーティジョンとヨーコボブ・ディランミック・ジャガーなど、数多くの有名人やモデル、写真家、ドラァッグ・クイーントランスジェンダーが集まり、サロンとして機能したポップカルチャーの坩堝。恐らくそこではさまざまな人たちが新しい情報を交換しながら、互いに影響を受け合ったんだと思うな。

 

当時、ファクトリーに集まった人たちの証言をいくつか。

 

キスマークアンディは体内に磁石があるのかと思うほどの吸引力があって、自分もその吸引力に引き付けられた。アンディが現れると、何もしなくても何かが起きるんだ。(ウォーホルと共に「シルバー・ファクトリー」を立ち上げたひとりビリー・ネームの言葉)
 

📷️天井や壁面のすべてが銀色のアルミ・ホイールで覆われたファクトリー【Factory】は、シルバー・ファクトリーとも呼ばれた。そのアイデアを出したのがウォーホルやファクトリーに集まる人たちの数多くの写真を撮ったビリー・ネーム。彼が撮ったこの写真ではファクトリー内をウォーホルが『Brillo Box』を抱え歩き回っている。

 

キスマーク彼は(彼が)興味を持った連中を収集するコレクターだったんだ。(60年代を通じてウォーホルの側近中の側近だったジェラルド・マランガの言葉)
 

キスマークアンディとは50年代末頃から知り合っていました。後にポップアートが流行し始めた時も私の方が彼らよりも先を行ってたので関心がありませんでした。アンディは先駆者ではなく、一番うまく立ち回った人です。(1950年代末頃からニューヨークで活動していた草間彌生の言葉。彼女のこの言葉には他の何にも譲歩することがない、アーティストとしての強固な確信と意思を感じることができる)

 

🎦シルク・スクリーンと双璧を成す表現としてウォーホルは16㎜カメラでアンダー・グラウンド映画を撮り始める。これは、友人であるジョン・ジョルノの、ただ眠る姿を6時間に渡りただ撮り続けた1963年の作品『Sleep』

 

🎦当時のニューヨークの象徴であったエンパイア・ステートビルを8時間に渡り、定点カメラでただ撮り続けた1964年の作品『エンパイア』【Empire】。もちろんアイデアはウォーホルだけど、撮影は同じくアンダーグラウンドの映画作家ジョナス・メカス。僕は昔、ウォーホルの展覧会で15分ほど見ただけだけど、この映画を最初から最後まで観た人っているのかなぁうーんと思ったり。因みに。こういった作品は今で言う「アンビエント」「ミニマル」フィルムの源流になるのかも。

 

さて、と。イーディ・セジウィック【Edie Sedgwickのこと。彼女は1943年にアメリカのカリフォルニア州サンタバーバラで名門の旧家であり牧場主でもあった家庭で8人兄妹の7番目の子供として生まれた(父親は当時、その精神疾患の遺伝体質から「子供をもうけることを禁じられた」ことがあるらしいけど、そうは言いながら逆にたくさんの子供をもうけてる)。イーディは金銭的には何の不自由もないまま育ちながら、1957年には拒食症のため寄宿学校を1年で中退。そして1962年に父の浮気現場を目撃してしまった事に父が激怒し、彼女はシルヴァー・ヒル精神病院に入院させられることに。その後、彼女はマサチューセッツ州ケンブリッジで美術を学んでいたものの、その美貌と華やかなムードは小さな田舎町には不似合いで、彼女もまたそんな町の窮屈さに耐えかねて1964年にニューヨークに移り住み、父親の遺産でパーティーに明け暮れる日々を送り、モデルの仕事をしながら社交界では有名な女性となっていった。

 

 📷️まだ10代のイーディだろうか。ナチュラルに輝いてるよね。

 

そして、そんな華やかな暮らしを続けていた1965年3月。映画プロデューサーのレスター・パースキー宅でポップ・アートの騎手として既に有名になっていたアンディ・ウォーホルと出会い、イーディの運命は大きく動き出していく。

 

そうしてイーディは、もともと彼女の友人だったチャック・ウェインと共にともに「ファクトリー 」 に通い始め、「ありのままのイーディをそのまま撮れば、それだけで映画は魅力的なものになる」というチャック・ウェインの勧めもあってウォーホルはイーディのその華やかな魅力にどこかで憧れを抱きつつ、シルク・スクリーンとは別に、自身の重要な表現であったアンダーグラウンド映画にイーディを出演させていく。

 

 📷️ウォーホルイーディチャック・ウェインとのフォト・セッション。ショートヘアに小さな顔、長い手足と黒いタイツ姿のイーディがとにかくCuteだし、イーディが人生で最も輝いていた頃の、とても魅力的な写真だと思うなうーん

 

 

 

 

 

📷️当時は、アンディの側にはいつもイーディが居て、イーディの側にはいつもアンディが居た。
📷️イーディの笑顔は、いつもCoolなアンディすら笑顔にさせた。
🎦パーティー好きだったウォーホルは華やかで、どこに行っても注目の的になるイーディを連れてパーティーの場にも頻繁に現れた。

 

イーディについての証言をいくつか。

 

キスマーク「当時のDiscotiqueに憧れがあったから「アーサーズ」や「ザ・シーン」の前でぶらぶらして人が入っていくのを眺めてた。そこはまるでハリウッドみたいな感じだったから。ある時、トイレに行きたいとお店の前に立っていた気の弱そうな男性に言ったら中に入れてくれたの。その時、私はイーディが踊っている姿を見た。我が人生で最高の瞬間だと思ったわ」。(後にNYパンクの女王と呼ばれるパティ・スミスの言葉)
 
キスマーク「どのような状況においてもイーディの身体性は爽快で、その場のあらゆる欺瞞を露にしてしまうんだ。彼女はアートそのもののようだった。それはつまり、彼女はとにかくしっかりと、また効果的に創られたオブジェだったということさ」。(ネオ・ダダのアーティスト、ロバート・ラウシェンバーグの言葉)
 
キスマーク「アンディはきっとイーディになりたかったんだよ」。(トルーマン・カポーティの言葉)。
 

🎦1964~1966年に。ファクトリーのスーパースター候補たちを、まるでウォーホルがコレクションするようにスクリーンテストとしてカタログ的に映し出した『スクリーン・テスト』シリーズのひとつ(イーディも出演している)『13 Most Beautiful…』。常に傍観者となって「人間」や「その状況」を観察した(故にあのCoolなシルク・スクリーン作品が生まれたのだ)、ウォーホルの資質がよく表れていると思うな。

 

📷️この作品にも出演し、イーディ以前にファクトリーの最初のスーパースターだったベイビー・ジェーン・ホルツァー【Baby Jane Holzer】。良家のお嬢様でワガママで「VOGUE」のモデルでもあった。因みに彼女はファクトリーのイケメン、エリック・エマーソンとの子供を産んでいる。

🎦イーディを主演にした最初の作品『VINYL』。ウォーホルならではのタイトルであり、イーディのイメージも表現している。

 🎦同じく『LUPE』では彼女の可愛らしさ、チャーミングさ、セクシーさが溢れている。

 🎦『Beauty #2』のポスター。

🎦『Poor Little Rich Girl』
 
 
🎦『チェルシー・ガールズ』【Chelsea Girls】は、1966年にウォーホルと、ウォーホルの側近だったポール・モリッシーが1966年に撮った、ウォーホル映画で初めて商業的に成功した作品。主演はニコインターナショナル・ヴェルヴェットイーディ(完成後、出演シーンは彼女の希望でカットされる)チェルシー・ホテルの客室を中心に、NYのさまざまな場所でさまざまなライフスタイルで暮らす女性たちを撮影したセミ・ドキュメンタリー。この作品の「さまざな女性たちの日常を覗き見するように楽しんで欲しい」という意図は、ある意味、現代のYouTubeTikTokを先駆けていると思う。因みに。このスタイリッシュなポスターは当時16歳だった(後にアーティストになる)クレア・シェーンストーンのヌードを大胆に配し(今だったら完全にOUTだ)、グラフィック・デザイナーのアラン・オルドリッジがデザインした。
 

1965年頃のイーディはウォーホルの数多くの映画に出演しつつ、雑誌「Vogue」「LIFE」のページを飾ってポップ・カルチャーの最前線に立ち、「ユース・クエイカー(若者が起こした揺さぶり)」と呼ばれ、「ガールズ・オブ・イヤー」にも選ばれるなど、その年の「イット・ガール」となった。

 

📷️今週の『Adieu Romantique』の表紙のメイン・ビジュアルに使った写真は、1965年に雑誌「VOGUE」のためにエンゾ・セレリオが撮ったサイの置物の上でバレエを踊るイーディ。上品でスタイリッシュでCUTEで、何処か不安気なイーディのリアルを見事に写し出している。

📷️これも同じく1965年に雑誌「LIFE」のために撮られたイーディ。

 

 
音譜ファクトリーを拠点に活動したロック・バンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド【The Velvet Underground】の曲を書き、ボーカリストでもあったルー・リードはある日、ウォーホルから「ねぇ、イーディってファム・ファタールだと思わない?彼女のイメージに合う曲を書いてよ」と軽く言われ、仕方なく『ファム・ファタール』【Femme Fatale】を書いた。結局、その曲はヴェルヴェッツのファースト・アルバムに収められ、やはりアンディの思い付きで参加することになったニコが歌った。

 

📷️ウォーホルヴェルヴェット・アンダーグラウンドのメンバー。左からニコウォーホル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのモーリン・タッカールー・リードスターリング・モリソンジョン・ケール

📷️ヴェルヴェッツのメンバーらとカメラに収まるイーディ

 
そして1965年の終わり頃から1966年にかけて。イーディは徐々に映画制作に協力的でなくなり、ファクトリーのメンバーたちから反感を買い始める。そんなイーディに対してウォーホルは、当て付けに女流階級出身のイーディに対して労働者階級出身のイングリッド・スーパースター【Ingrid Superstar】(元オセロ松嶋尚美じゃないよ)をファクトリーの次のスーパースターに仕立て上げることで(名前までわざわざスーパースターと付けた)イーディに最高の屈辱を味合わせたかったという。結果、お世辞にも美人とは言えないし、イーディに較べてまったく華がないイングリッドにも同時に屈辱を味合わせたのかも知れないと思うと、ウォーホルって、人の心を弄ぶような、そんな人間なのかなと思ったりうーん

 

そして同じ頃に。イーディの新たなる人生がまた動き始める。イーディは時々、ファクトリーに顔を出していたボブ・ディラン恋に落ち(この時、ディランは1年ほど前から交際していたサラ・ラウンズと籍を入れたばかりだった)、ファクトリーからも、そしてウォーホルからも徐々に距離を置くようになる。もともとウォーホルとディランは馬が合わなかったところにディランにイーディを取られてしまった格好になったので、ウォーホルはいたってCoolに装いながらも相当、ショックを受けていたはず。
 
📷️エルヴィスの作品の前で会話するウォーホルディラン。だけど。ディランとイーディが一緒に写っている写真は見たことがない。

 

音譜その頃のディランは、と言えば1966年にリリースした歴史的アルバム『Blonde On Blonde』の中の曲『ヒョウ皮のふちなし帽』【Leopard-Skin Pill-Box Hat】でイーディのことを歌っている。

音譜同じく『ブロンド・オブ・ブロンド』に収録された名曲『女の如く』【Just Like a Woman】イーディのことを歌っているとも言われている。

 

そうしてディランイーディは60年代を彩る歴史的なカップルになったか、というとそんなことはなく。1966年の末頃にはふたりの恋は終わりを告げる。

 

この頃からイーディはチェルシー・ホテルに転居するも、間もなく薬物依存症により入院。その後、家族のいるカリフォルニアへ戻るも、精神科病院からの脱走・再入院を経て、実家で家族とともに過ごすことになる。1969年には、病院で同じ患者だったマイケル・ポストと出会い、後に結婚。ドラッグを絶とうとするけれど、1971年11月15日の夜、彼女はファッションショーに出掛け、そこで再びドラッグに手を出してしまい、翌朝、夫のポストが彼女の部屋に様子を見に来た時には、既に息はなかったという。薬物の過剰摂取による死。僅か28年の短過ぎる生涯だった。

 

🎦1967年に撮り始め、イーディの死後、1972年に完成した作品『チャオ!マンハッタン』【Ciao! Manhattan】。もともとはインターナショナル・ヴェルベットこと、スーザン・ボトムリーが主演するはずだったけれど、イーディが代わって主役を務めることになり、最初はフィクションで撮られていた作品は、イーディのプラスチックで絶望的な人生を追ったドキュメンタリーのようになってしまう。

🎦この映画のイーディを見てると胸が締め付けられてくる。
 

もともとの運命に導かれるように。アンディ・ウォーホルボブ・ディラン、そして60年代という時代に翻弄されながら光と影を纏い、思考よりも速い速度で永遠の少女のように人生を生き急いだファム・ファタール【宿命の女】、イーディ・セジウィック。決して幸せだったとは言い難い人生だったかも知れないけど、ポップ・カルチャーという文脈の中で、彼女の存在は美しい星のように眩く輝いている。

 

音譜ファクトリーの美しきトランスジェンダー、キャンディ・ダーリングの写真が使われた、アントニー&ザ・ジョンソンズ【Antony&The Johnsons】の2005年のアルバム『I Am The Bird Now』から。人間の孤独が崇高なほど美しく歌われる『Hope There's Someone』。キャンディ・ダーリングのことを歌っているんだろうけど、僕にはイーディに捧げられた曲のように響いてくる。

 

 
【📖イーディ・セジウィックを知るための一冊】
彼女について書かれた本はほとんどないので、これが決定版になるのかな?『イーディ '60年代のヒロイン』。分厚い本でしかも二段組。たくさんの人の証言で構成されていて(証言している人の数が多過ぎて)誰が誰で、イーディとの関係性や流れが分かり難かったりするので、最初から最後まで読み通すというより、ところどころ拾い読みする方がいいのかも。

 
📖一冊と言いながら、表紙が好きなので。雑誌『Casa Brutus』2014年のウォーホル特集号は、キャンベル・スープ缶のミニのワンピースを着ている、当時のポップ・アイドル、きゃりぃぱみゅぱみゅが表紙を飾った。
 

 キスマークそして彼女の短い生涯を追った、2006年の映画『ファクトリー・ガール』【Factory Girl】イーディの短い生涯をドラマ化した伝記映画。先の『チャオ!マンハッタン』と較べてしまうと、インパクトは弱いし、ドラマ、ドラマし過ぎてるのかなと思う。因みに、この映画についてルー・リード「これまで見た作品の中で最悪の映画。金儲けのための作品」と言い、ボブ・ディランは仮名で登場するものの、イーディを死に追いやったのがまるで自分だったかのような演出に対して上映中止を求めたという。まぁ、ウォーホルが創った映画じゃないし、ファクトリーとも関係ないし、「これはこれでいいんじゃない」程度の作品かと。

 

【世界の、あらゆるどこかで音楽が】
今週は、煩わしい人間関係から少し離れるためのイノセントな音楽を紹介するね。
 
音譜イノセント(=無垢)と言えば、これほどイノセントな音楽もないだろう。Akira Film Scriptというグループがアフリカ・マサイ族の女の子たちの歌をフィールド・レコーディングし、最低限の手を加えだけの『Maasai 94』。今時のオーガニックなお洒落なcafeで流れていたらいいな、って思う。
 

 
音譜イノセントなアルバムをもう1枚。ビーチ・ボーイズの天才ブライアン・ウィルソンがアコースティック・ギター1本で弾き語ったら、こんな感じになるのかな、って思わせてくれるような。ダグ・ニューマン【Doug Newman】のアルバム『Ulyssa Presents』から『Ridin' On The Trail With My Horse Jed』『 I Hope It's Gonna Rain』『Let's Go Surfin'』
 

 

 

 
【編集後記】

イーディと同じ時期にイギリスで活躍したマリアンヌ・フェイスフルも、イギリスの良家のお嬢様だったにも関わらずミック・ジャガーと恋に落ち、やがてアルコールとドラッグの依存症に。だけど彼女はそこから這い上がり、「凄味」すら感じさせるダーティな雰囲気で復活を果たした。そういう違いって(人の人生はそれぞれだし、比較しても仕方がないけど)、いったい何なんだろう、って。ふと考えたりうーん


あと、全然関係ない話だけど。ameblo内で頻繁に出て来て、いろんなカウントダウンでそこから離れ難くする手法の、迷惑でしかない広告が最近は出て来なくなった。ずっと悩まされていたのでほんと良かった。人の大切な時間を無理やり勝手に使うのは最低だし、その効果より(効果なんてあるのかなうーん)逆にクライアントの企業イメージや品格を下げてしまってるのに、ってずっと思ってた。

 

れじゃぁ、また。アデュー・ロマンティーク。