和歌と漢詩と恋文 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

漢詩には恋愛を主題とすることが無い訳ではないが少ない。一方、和歌の主題は恋愛が主だと言っても過言では無い。この違いが私たちの考え方に何をもたらすか考えてみましょう。

決定的な違いは、女性の地位に関する違いです。和歌は基本的にはひらがなで書かれていた。さらに、カタカナが男文字、ひらがなが女文字と呼ばれていたように、ひらがなは女性によって高度に発展された文字です。万葉仮名の時代にすでに多くの恋愛詩が歌われていましたが、この女文字の発達で、多くの女性たちが字が読めるようになった。それに対して、漢字の習得は日本人の間でもごく限られた、それも多くは男性の間で使われていたようです。確かに清少納言のように漢文の素養で男どもを手玉に取った女性もおりましたが、これは例外に属する。事実、平安時代の女流文学は基本的にひらがなで書かれていた。因みに、男性の間でも漢字は限られた者だけに使われていた証拠に、鎌倉初期に書かれた慈円の歴史書『愚管抄』が主にカタカナで書かれております。そしてその理由は、地方の武士や一般庶民にも読んでもらいたいからだと慈円自身が述べていることからも判ります。

これは、漢や唐や現在の中国でも同じで、漢字を読める者は女性のみならず男性でも少なかった。その証拠に、現在の中国では元からある漢字教育を諦め、簡体字になってしまいました。その結果、自国の古典や歴史書を読める者が専門家を除いて居なくなってしまったことからも判ります。

さて、日本では万葉以前から恋歌を含めた五七の和歌があった。そこへ持って来てひらがなのお陰で多くの女性が字が読めた。そんな状況で、男女の恋がどう発展するでしょうか。そうですね、まず自分たちの恋心を男女ともに歌に詠んで相手の気を引こうしましたね。

   積もる話が仰山おすえ それに今夜は雪どすえ

このようなロマンチックなやり取りの末、二人は結ばれた。

ところが、漢字ばかりで女性は字が読めない。こんな状況で恋愛ってどういう具合に進んで行くのでしょうか。先日、ある中国の専門家がこのことについて話しているのをネットで見かけました。そのような状態ではロマンチックな恋文のやり取りなんかできない。ですから、いきなりセックスに持ち込んで行くのが彼らの恋愛なんだそうです。これじゃあ、女性の地位が上がるはずがありませんね。

私は米国とヨーロッパの生活が長いですが、家庭内での日本の女性の地位の高さはダントツです。日本は、家庭内での女性の発言権が大変強い国です。私は以前のブログ『日本人てすごい 7 男女同権』 2013-02-18の中で、その根拠の一つに、奈良平安時代から大東和戦争に至るまで国民の9割を占めた農民の稲作で、田植えという肉体労働が骨盤の構造上女性の独壇場であったことに主な要因があろうと主張しました。今回、それにもう一つの根拠を付け加えます。昔から日本の女性は世界的に見てダントツに識字率が高く、男性が女性の心を射止めるために、恋文のやり取りが必然であったことも、日本の女性の地位の高さの主要な理由だったのだと思います。

若い皆様、あなた方は二人が結ばれる前に十分な恋文のやりとりをしていますか?その部分を端折ってしまうと、女性の地位がどんどん落ちてしまいますよ!