世の中狭すぎる。世界が雅楽で繋がった! | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

奇遇に次ぐ奇遇です。春のお彼岸ごろに野田市の東京理科大学で催された日本物理学会に参加したのを機会に、ベルギー時代から知り合いだった日本人の方と日本での何度目かの再開をいたしました。その方はベルギーで自然農法による農園を管理しておられる方ですが、また、海外でも頻繁に演奏活動をやっている関東方面の雅楽アンサンブルの職員の方でもあります。そんな縁で、そのアンサンブルの代表ご夫妻とも何度かお会いして意気投合しておりました。今回も、その代表ご夫妻との会食があり、近世や中世ならいら知らず、今まで私にとって余りに遠い平安や奈良時代から連綿と続く雅楽に興味がそそられるようになりました。4月8日にはここ大阪から関東方面に出かけて、そのアンサンブルの催しに参加することになりました。

 

そんな事情もあって、そのアンサンブルの方から関西方面の雅楽研究家を紹介して頂いていて、関西の某大学の先生を知りました。そんな折、それとは全く別な話で、4月1日に大和五條のうどん屋の親父で尚且つ山伏の方に半年以上ぶりに会ってきました。その親父には雅楽のことなど一言も話していなかったのに、面白い人がいるとそこで紹介してれたのが、偶然にも関西で由緒ある天王寺楽所という雅楽の組織で雅楽を演奏される女性を紹介してくれたのでした。そしたら、その女性もその先生を知っているとのことで、なんと世間は狭いものかと二人で感心し合いました。

 

さらにその日は、著名な神社の襖絵を描き国宝の修復もなさっている日本画の先生をその親父が紹介してくださりました。話が弾んで行くうちに、その方のお嬢様は京都の超有名なお寺のお世継ぎに最近嫁がれたというので、ははーっと畏まって聞いておりましたが、そのお嬢様が、なんと私と私の家内の出た高校の後輩だったんでまた驚き。その後、その親父の案内で五條の桜の名所を見物して、その帰りにその親父の親類の家に立ち寄ったら、その親類の方が宮大工。

 

五條の訪問は1日中日本文化の大洪水で密度が濃すぎて消化しきれずに家に帰ってまいりました。今度は、上で紹介された方々に一人づつお会いして、各個攻撃で日本文化を消化して行かなくてはと算段しております。

 

昨日4月5日に、その雅楽演奏家の方に私の滞在している大阪府大の研究室に来て頂いて、雅楽の話を聞きました。その中で特に印象が残ったのは、雅楽には自然な音の流れを意識的に破る技法が時々入り込み、そこでの驚きも味わうとのことです。これを雅楽では「破」と言うそうです。

 

一方で、私のやっている複雑系の物理学では、今までになかった新しい構造が創出される時に、物理学でいう「対称性の破れ」というのが本質的になります。例えば、時間には過去、現在、未来という一方向にのみ進む時間の矢がある。反対向きには流れません。これを物理学者は、「時間の向きの対称性が破れている」と表現して、数式を使って数学的に表現します。他の例では、熱平衡状態では、物質は空間的に一様に分布していますが、一方を熱して他方を冷やして熱平衡状態から十分に離してやると、物質が空間的に不均一に分布し始めます。ですから、構造が何もなかった均質な状態から、空間的に粗密などの構造を持つパターンが現れたことになる。この場合、物理学者は「空間的な並進対称性が自発的に破れた」と表現します。

 

芸術でいう創造的営みを物理学の言葉でいうと、想定外の展開で今まであった対称性を破る営みなんですよね。その辺を理解していないで表層的に芸術作品を眺めて見るとどうなるか。例えば絵画や音楽の中に繰り返しのパターンがよく見られ、特に絵画などは対称な繰り返しの図柄を描いて、それが美しさを表現しているように見える。そこで、芸術家の営みは対称性に有りなどと言いかねない。でも、対称性にも並進対称性、円対称性、回転対称性、左右対称性、、、、と無限の対称性がある。その無限の対称性の大海の中から、あの対称な図形ではなくてこの対称な図形を描こうと芸術の作者は決意しなければ一つの対称な絵を描くことすらできない。芸術家の芸術家たる所以は、その決意によってあらゆる対称な図形の中から、これだと決めた対称な図形を選ぶことで、可能性の大海の中からほんの数個の例だけを具現化して対称性を破る行為なんですね。対称性を破る行為を「破」という概念で意識的に取り入れている雅楽って、私が考えていたよりも奥が深い芸術なのかなと、考え始めました。