散逸構造の理論 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

私の最近のブログ、『資本主義の将来』 2017-12-03 のコメント欄のやり取りで、専門家ではない方の間で、散逸構造の概念の認識に混乱があると思えましたので、その理論の解説を以下に書いておきます。

 

この理論は、元々は物理現象の中で一見エントロピー増大の法則と矛盾するように、単純な構造が次々と進化しながら複雑な構造が自発的に現れる根拠を、実はエントロピー増大の法則に矛盾しないのみならず、一般の物理学の法則に従って出現可能であることを明らかにした理論です。その理論の適用範囲は広大で、物理や化学現象ばかりでなく、バイオリズムの機構、生命現象の出現のメカニズム、生物の進化のメカニズム、それに社会現象などの応用など多岐に渡って、すでに多大な成果を収め、その業績で、この理論を提唱したイリヤ・プリゴジンはノーベル化学賞を戴いております。

 

散逸構造論の骨子は

 

(1)一旦出来上がった構造の環境の変化に対する安定性の根拠と、

 

(2)環境が変わりすぎた時の新しい構造の創発のメカニズムに関して、数学で言う非線形効果に基づいた不安定性と言う定量的な根拠を与えた、

 

と言う2点から成り立っています。

 

上記のブログ、『資本主義の将来』では、主に散逸構造の(1)に光を当てて議論したものです。 そもそも、構造を構造と呼べる根拠は、その形態の持続性にあります。持続性は状況の変化に対する抵抗力、すなわち安定性ですから、それが何故構造と言えるのかという安定性のメカニズムを明らかにする必要がある。その根拠として、プリゴジンは、散逸、すなわち、時間の向きの対称性の破れが本質的であることを明らかにしました。しかし、それでは、自発的に創発する新しい構造の出現、すなわち、上記の(2)が説明できない。それに対しても、やはり時間の向きの対称性の破れが本質的であることも、共に明らかにしたのです。そして、この対称性の破れの根幹に、今までの物理学の根幹であった決定論的な世界認識ではなくて、制御不能な確率論的世界認識が必要条件となっていることを明らかにしました。さらに、この制御不可能性の力学的根拠に力学でいう共鳴特異性が本質的な役割を演じていることも明らかにしました。そしてこの共鳴特異性のところに、カオス理論との接点があります。  

 

ある系で、その裏に乱雑で予測不可能な事象が起こっている場合には、熱力学的ポテンシャルの概念が意味を持つようになります。その形は平衡状態の近傍では数学でいう線形近似が成り立ち、下に凸型の放物線で近似されます。その結果、何かの偶然な作用でその系を平衡点から引き離そうとすると、それを元の平衡点に引き戻そうとする力が平衡点からのズレに線形に比例して働きます。すなわち、平衡点が安定点になっています。ですから、この力の線形性に着目して、これを線形近似可能な領域と呼ばれています。

 

何故安定点の近傍で放物線になるかは、数学で言うテーラー展開による一般の関数の展開で、その関数が特殊な関数でない限りどんな関数でも、その関数の展開の最低次が安定点の周りで2次関数になっているからです。このように、テーラー展開の凄さは、関数の具体的な形がわからなくても、自分の興味のある点の周りでの関数の形を簡単な知られた関数で書き下せてしまうところにあります。

 

そして、安定点に戻る振る舞いは、時間の正の向きに対して起こるので、時間の向きの対称性が破れているわけです。この対称性の破れは、一見全ての物理学の基本法則と矛盾しているので、その対称性の破れの根拠を同定すること自体が、未だに物理学の基本問題の一つになっています。 

 

環境がじわじわ変化する場合は、その変化は定量的に、この2次関数の広がりの幅、すなわち傾斜の変化として与えられます。しかし、何れにしてもポテンシャルの形は下に凸の放物線ですから、偶然のゆらぎで平衡点からずれても、自発的に系は元の安定点に戻ってゆきます。これが、散逸構造でいう、時間の対称性の破れに由来した安定性を保証しているのです。想定外の系の損傷を元の安定した構造に自発的に治す機能を持っている点が、散逸構造と人為的に作られた機械的な構造との決定的な違いであり、それが、散逸構造がそれを壊そうとする外圧から頑強に抵抗できる根拠になっています。  私が資本主義制度を散逸構造の一形態として捉え、その安定性を強調したのは、この視点に基づいています。

 

しかし、頑強に抵抗しているだけでは、単に今までの構造に戻るだけで、今までになかった新しい構造が創発できるメカニズムが説明できない。そのことに関して、上の(2)で述べた非線形性が決定的役割を演じていることを散逸構造の理論は同時に明らかにしたのです。その説明の骨子は、分岐の理論と呼ばれています。 

 

 すなわち、この理論によって、そのメカニズムが、平衡状態から十分離れた状態ではじめて効いてくるポテンシャルの非線形構造に起因していることであることが明らかになったのです。物理学では、すでに線形近似の範囲で生産的で多大な成果が得られていました。その代表例は、統計力学の分野で久保亮五によって確立された線形応答理論と呼ばれる理論です。しかし、この理論を非線形領域に拡張することは未だに研究者の興味をそそる問題として残されています。その点、散逸構造の理論は非線形現象を理論の中心に据えたものとして、物理学のみならず数学の分野でも、その発展の原動力の一翼を担っています。

 

先ほど述べたポテンシャルを表す関数の形は、一般に安定点のまわりでテーラー展開可能であり、安定点近傍から離れた点では、2次の項以上に高次な次数の項の関数で級数展開できます。さて、初めに線形近似が出来て、下に凸の放物型をしていたポテンシャルが、環境の変化によって広がって行きますと、ポテンシャルの傾斜が緩やかになってしまったので、制御不能なゆらぎで偶然に安定点からずれた場合に元の安定点に戻そうとする力が弱くなる。だからゆらぎの幅も大きくなる。さらに環境が変化してポテンシャルが広がり、ゆらぎの幅が大きくなってくると、最早2次の放物線だけでは近似できなくなります。しかし、その最初の非線形な補正項は3次ではなく、4次の補正項になります。3次の補正項は必ずポテンシャルがマイナス無限大になる部分を含み、系が大局的に不安定になって、構造そのものが崩壊してしまうからです。さて、安定した構造だったゆえに、その構成員の数が増えたり、生成物が増えてその系の中に溜まって来たりと、環境を特徴付けるパラメータがどんどん変化して、この4次の項が効いてくると、今まで下に凸だった放物線が上に凸の放物線に変わり、その結果、今までの安定点が不安定点に変わります。この時、高次関数(この場合4次関数)の特徴から、その上に凸な不安定点の左右に必ず2つの下に凸な新たな安定点が生じます。そこで、今まで安定点にいた系が左右のどちらかの新たな安定点に遷移します。これが、新しい構造の創発です。

 

一つの安定点から二つの新たな安定点が生まれるので、これを分岐と呼びます。ただし、その左右どちらに遷移するかは、コイン投げと同じ確率過程ですので、全く予想不可能です。この分岐を次々と繰り返して、系はより複雑な構造に進化して行きます。また、今まで下向きに鋭く凸だったポテンシャルが徐々に広がって平らになり、ついに上向きの凸になる過程で、上記で述べたようにゆらぎがどんどん増幅しますので、この遷移の近傍で大混乱が起こります。ですから今まで存在していた形態が崩壊して新たな形態に移行する時には必ず大混乱が起こります。すなわち、混乱なしに、新たな構造を得ることができないと言うことを、散逸構造論は明らかにしました。ある意味、これは経験的に明らかだったですね。散逸構造論は、この混乱の理論的根拠を明らかにしたのです。また、どちらの新しい構造が選択されるかに必然性はなく、ちょっとした偶然によるゆらぎの拡大で、全く確率的に選択されることも明らかになりました。この点から、革命期の混乱や、思春期の混乱を分析して見るのも面白いかもしれません。また、資本主義の今後の発展も、このように制御不能な成り行きという偶然が本質的である確率過程であり、誰にも予測不可能だと述べたのは、この視点に基づいています。

 

以上が、散逸構造の安定性と不安定性に対する関わり合いです。特に、新しい構造の創発に制御不可能で予測不可能な不安定性が本質的な役割を演じることを明らかにした点は、ある意味逆説的な驚きがあり、特筆に値するでしょう。さらに、構造の自発的創発に、時間の向きの対称性の破れが本質的役割を演じていることを明らかにした点で、決定論的世界観に対する非決定論的確率論的世界観の建設的優位性を明示して、物理学のみならず、思想界に一石を投じたことが特筆に値するでしょう。