私が学者として生きて行くにあたり、最も影響を受けた方は、ベルギーの故イリヤ・プリゴジン教授と、東京学芸大学の故三島信彦教授でした。三島先生のお陰で今の私がいると言っても過言ではありません。三島先生はプリゴジン教授と特別なコネがあった訳ではありません。しかし、三島先生は全くコネが無いにもかかわらず、プリゴジン教授に飛び込んで行けと言うことを教えて下さったのです。
三島先生は私より一回りしか違わず、私が先生に初めてお会いしたのは先生がまだ三十五、六の若造だったのです。しかし、当時の私には三島先生は途轍もなく年上の方だと見えておりました。
後の私の学者としての在り方に付いて、三島先生から数限りなく色々なことを教わりました。その一つに、
「大学はブラックマーケットでなくてはならない。」
と言うのがあります。
「ブラックマーケットの特徴は品物に値札が付いていないことだ。ストラディバリウスのバイオリンを1000円で買えることがあると思えば、数十万円払ってゴミみたいな物を掴ませられる。」
人類の歴史を眺めると、全ての重要な科学的発見は今までの手続きを咀嚼しそれを忠実に辿ってなされて来たのではありません。今までの知識には皆値札が付いている。値札の付いている物には技術的な価値があります。しかし、値札が付いていないからこそ科学的な価値があるのです。
別な言い方をすると「科学技術」と、科学と技術を一緒くたにまとめることほど無意味なことはないのです。ところが、人類は科学的な進歩が技術的な進歩に役に立って来たと言う歴史を経験してまいりました。科学が何故技術に役に立つかは、決して自明なことではありません。現に、ニュートンの法則など知らずに、世界のあらゆる文明は過去に壮大な建築物や橋などを造って来たのです。
科学と技術の違いに付いて2014.3.16のブログ『科学的後進性と技術的先進性、そして、小保方さんいじめ
』も参考にして下さい。
技術の進歩と違って、科学の重要な進歩は芸術と同じです。その人の直感や科学的洞察力で、私は「発見しました」それを「信じています」と言うことで進歩して来たのです。
「そのメッセージは、研究者が『発見』を知らせるための手続きが決まっており、その手付きに従ってなくては認められない」
なんてことは、一度もありませんでした。
ガリレオが
「数学は自然を記述するための言語である」
と言った当時、ガリレオが知っていた数学は現在日本の小学校で教わる算数と呼ばれる四則演算のみでした。微分も積分も知らずにそんなことを言ったのです。彼はその洞察力により、そのことを信じていたのです。彼が死んだ後になって幸運にもそのことが実証されたので、彼は近代自然科学の父と呼ばれるようになったのです。
科学研究を本当にやったことがなく、大学はブラックマーケットでなくてはならないという基本など考えたことがなく、したがって、科学と技術の違いが判らない連中から見ると、
「研究者が『発見』を知らせるための手続きが決まっており、『発見しました』『信じています』というだけでは駄目だ」
なんてとんでもないことを言い出すのでしょう。
この言葉は、STAP細胞論文の問題をめぐり、日本分子生物学会の大隅典子理事長
が同学会の全会員に最近電子メールで送った言葉だそうです。
もの凄い茶番ですね。残念ながら、日本で学会の理事をやってる方ってこんな程度の方も居られるのです。日本ではまともな科学者は片身の狭い思いをしているのでしょうね。
日本の科学者の名誉のために言っておきますが、日本でお金儲けのために科学をやっている人は、日本の学会の所謂リーダーと言われる人以外には、ほとんどいないのですよ。ほとんどの研究者は芸術家と同じ心境で、純粋に科学的興味から科学をやっているのです。