笹井芳樹副センター長の記者会見:小保方さんいじめ事件 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

小保方さんいじめ事件に関する、彼女の理化学研究所の上司笹井芳樹副センター長の記者会見について、長年研究生活をして来た私からの印象を書いてみます。

色々な速報が出ましたが、私の見る限り

神戸新聞の速報記事 :http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201404/0006867899.shtml

が他社と比べて詳しいようでした。ただし、

(この情報は速報のため修正する場合があります)

との注がついておりました。

まず、彼には小保方さんを擁護する気が全くないと言う印象を得ました。この記者会見で、彼女の採用選考に対して、

「人事委員会で研究の独創性、準備状況を中心に評価した。かつての小保方氏の指導者らからも推薦を得た。一切偏りはない。挑戦的な研究をする若手から登用するのは珍しくない」

との述べたとのこと。挑戦的で独創的な仕事ほどリスクが伴うのは研究者でなくても、何方でもお判りになると思います。挑戦すれば必ず反論が来ます。笹井氏は、彼女の研究結果を共に議論し、彼女と一緒に特許を申請し、研究成果の始めの記者会見の一ヶ月ほど前から彼女の部屋をピンクに塗り、彼女に割烹着まで着せておきながら、専門家からでなくマスコミからケチが付き始めたら、彼女の擁護もせずに逃げ回っていた方です。その彼曰く、

「執筆のアドバイザーとしての協力だったが、バカンティ教授の後押しで著者に加わった。」

「生データやノートを見る機会がなく、(小保方氏にも)直属の部下ではないのでノートを見せるよう求めることも難しかった」

「私はこの論文に純粋にアドバイザーとして参加した。若手の独創的な研究のお手伝いであり、依頼を受けて加わった。自分の仕事として考えたことはない。」

「私自身は早く出て皆さまにおわびしたい気持ちは強くあった。声明にしかできなかったのは、調査委が動いていて、それが深い形で進んだために、4月1日になるまでそういったことが許されなかった。」

どれもこれも、私は受動的な被害者であり能動的な加害者ではないと言う主張です。

執筆のアドバイザーとして色々な書き直しを提案しておきながら、何か特別な理由がない限り
その人が共著者にならないのは、研究者の間では通常考えられません。特別な理由とは、例えば博士号をより取り易くするために、その学生だけの名前の論文として出すことを指導教官が配慮してあげるなどです。笹井氏が特許の共同申請者の一人になっているにもかかわらず、そして、上司として論文の執筆を手伝っているにもかかわらず、彼がこの論文で共著者になるのに何故わざわざバカンティ教授の後押しが必要だったのか、理解に苦しみます。

また、上の発言で4月1日になるまでお詫びが許されなかったと理化学研究所の内情を暴露しています。このことから、彼はこの発見に一緒に興奮して華々しい記者会見のお膳立てまでしたにもかかわらず、彼女のために矢面に立って擁護せず、自分の科学者としての名誉を犠牲にしてまで、科学者としての倫理よりも理化学研究所の上からの命令に従って自分の保身を優先したことを表白しています。巨大な組織に入り、出世を夢見て来た人間の悲劇って、こんなところに現れるのですね。科学的な真実の探求と言う純粋な動機以外の何かを求めて来た人の不幸でしょう。

私は理論物理学者であり実験物理学者でないなので、実験ノートの重要性は解りません。しかし、彼が上で述べているように、論文を書く過程で彼がノートを見ていないと言うことは、少なくとも彼に取って実験ノートの完備不完備はあまり重要ではないと言うことを示しています。今の世の中、多くのデーターやそれに関する考察は自分のパソコンの中に蓄えている研究者が多いと聞きました。だから、研究の過程で実験ノートはマスコミが大騒ぎするほど重要ではないと言うことが、笹井氏の言葉から受け取れました。

聞く所によると、実験ノートは研究の正否を証明するよりも、特許申請の時の証拠としての形式を整えるために必要だそうです。だから、その研究でお金儲けをしようと考えている人には、実験ノートは重要なのでしょう。確かに、科学的事実は実験ノートがあるかないかに無関係に、他の専門家達による追試によって確かめられて来たのです。


論文の撤回に関して笹井氏は、

 

「一般論としては撤回ということは100をゼロにするのではなく、100をマイナス300ぐらいにするという理屈ですよね。(中略)重要性を鑑みたときに、たとえ マイナス300になるとしても、いったん受け入れて、より高いレベルの検証をして本当かどうかを調べる潔さが必要なのではということ。」


と述べております。この言述で私が(中略)として省略した部分で奥歯に物が挟まったようなことを長々と述べております。しかし、その部分を上のように落してみると、論文は撤回せよとはっきり言っていることがお判りになると思います。


ところが、


読売新聞の記事

http://www.yomiuri.co.jp/science/20140416-OYT1T50089.html?from=ytop_main2


によると、この記者会見で笹井氏は、


「『STAP細胞の存在を前提にしないとうまく説明できない』として、三つの根拠をあげた。〈1〉万能細胞特有の遺伝子が働く細胞の塊ができる様子を、顕微鏡の動画で確認している〈2〉細胞の大きさがES細胞(胚性幹細胞)など他の万能細胞に比べて非常に小さい〈3〉既存の万能細胞ではできない胎盤などに変化した――という。

 これらすべてを説明できる有望な反証は他になく、STAP細胞は『合理性が高い仮説だ』と説明したする(ママ)。」


と述べていたとのこと。

この上の二つの発言を同時に述べることは、科学研究をして来た者には全く理解できないことです。科学論文に書いてあることは全て仮説です。どんな優れた発見でも始めから完成している物なんて皆無に近い。本質的でない誤りを取り除くなど時間の掛かる過程を経て、その仮説が最終的に正しいかどうかを判定するには長い時間が掛かります。そのことは研究者なら誰でも知っています。ですから、どの科学者でも、有力な仮説だと思えたら不備を承知でその段階で論文として発表します。

有力だと思われたものに何かケチが付くたびに論文を撤回して、もっとレベルの高い検証をしなくてはならないと言い出したら、科学論文など誰も書けなくなってしまいます。今まで研究者として華やかに活躍して来た笹井氏がそんなこと知らないなどとは、信じられません。
要するに、素人の方を騙せても、研究者としての同業者を騙すことは出来ませんよと言いたいのです。

普段科学者として論理的な整合性に渾身を込めているはずのこの方の支離滅裂さの裏に何があるのでしょうか。論文を投稿する際に、論文掲載の是非を審査する査読員の質問に際してこのような支離滅裂な反応をしたら、論文の掲載は先ず許されません。今までの笹井氏の論文の投稿でそのことを十分に承知しているはずなのに、この態度は理解に苦しみます。 この論文の撤回に関して、理化学研究所の幹部からの圧力など、彼が言うわけにはいかない不都合なことが裏で動いてのかな、と勘ぐりたくもなります。

最後に、最近この問題に関連して所謂科学の専門家と言われている方がマスコミに対して、

「科学の研究はいつでも競争である。」

と言っておりましたが、この発言は研究をした経験のない一般の方に大変な誤解を招く可能性がありますので、そのことに関しても一言触れておきます。

科学の研究には、(1)今まで誰もそれに気付かなかった問題についての独創的な一流の仕事と、(2)すでにゴールは見えていて誰がそこに一番乗りするかという仕事があります。

独創的な仕事は、その字の如く、始めからゴールが見えているような仕事ではありません。だから、独創的な仕事に競争はありません。一方、競争があると言うことは、その切っ掛けを作った人が既にいると言うことです。だから、必然的に追従型の仕事です。したがって、上のように述べた所謂専門家は、今まで追従型の研究ばかりしてきて、独創的な仕事をしたことが無いと自ら皆に暴露していることに気が付いていない人なのです。