首相と将軍 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

私が愛読しているあがためのおさんのブログで『陽明学の系譜』 を語られております。

その文章の中の

「松陰の『国体論』によれば、長州藩主の毛利家も『幕府の大名』ではなく、『天皇の直臣』になる。
 徳川の幕藩体制という支配体制と、その支配的イデオロギーに立脚すれば、武家である毛利家は、武家の棟梁である将軍に属し、その将軍から封地を貰っており、天皇からは法制上からも実際にも封地を貰ったことがないから『天皇の直臣』であるはずがない、と批判できる。事実、長州の藩校『明倫館』の館長山縣太華はそのように松陰の国体論を批判した。」

及び

「フランスのルイ14世下の絶対王政に似た中央集権体制が確立した後は、吉田松陰の「国体論」は日本の支配的イデオロギーとなった。」

に啓発されて、「将軍」と「首相」の対応関係について考えたことを書いてみます。


人類史を振り返ると、世界中どの国でも支配者の周りに群がる官僚は常に腐敗してきました。彼らは自分たちの手に入れた既得権益守ることに汲々とするからです。だから強大な権力を一点に集中してしまう中央集権体制は必ず腐敗した国家をもたらしてきました。

その点、人類史的に例外だった支配体制である封建制度、すなわち、幕藩体制と西欧の封建体制は藩や地方国家の緩慢な自治を認めらていたため、権力が小単位に分散されており、官僚の腐敗が小さく押さえられて来ました。

ところが、松蔭の「国体論」によって日本が世界中どこにでもあるその他大勢の中央集権体制に再び戻ってしまった。

しかし、明治はまだその幕藩体制による正の遺産を残していたために、官僚の腐敗が国に害を及ぼすまでにはなっていなかったようです。腐敗することに決まっている制度でも、それが目に見えてくるまでには数世代かかりますから。

そして、現在の政治の流れを見ると、藤原家の貴族ならぬ東大閥の官僚貴族にその権力が一点集中して、世界史ではいつでもどこでも常識である官僚の腐敗がいよいよ鼻に付いてきた昨今ですね。

ユニオンジャック

英国はThe United Kingdomとも呼ばれ、ユニオンジャックに象徴されているように、イングランド、スコットランド、アイルランドなどの小国の連合国家です。彼らはイギリス国王の下に日本の「将軍」に対応する「首相」という地位を発明し、各小国の緩慢な自治を認めて、その封建制度の良い部分を残す工夫をして来た。

世界史を振り返ると、国王の意思の代弁者であり遂行者である宰相が国王を差し置いて実権を握ってしまった事例はいくらでもある。そう見ると将軍家は世界史的に見て宰相の一種であり、決して日本独特な存在ではなさそうです。しかし、その独創的な点は、国王下の中央集権ではなく、封建国家として国王の代理人を務めた宰相であった点でしょう。

残念ながら、松蔭の弟子たちは、旧体制を否定するあまり、首相が実は将軍に対応するものであることに気付かず、江戸時代の将軍が持っていなかったような絶大な権力を中央政府に与えてしまった。

藤原家ならぬ官僚貴族の横暴を何とかしなくてはならないような時期に近づいていると思います。