『若き詩人への手紙』 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

私が若い頃読んで感激した本に、 ライナー・マリア・リルケの『若き詩人への手紙』がありました。若き詩人とリルケの間の書簡集で、リルケが詩を書くための指南をしている書簡です。

大分昔に読んだので記憶は定かではありませんが、例えば、

「大作を狙わず、地道にコツコツと木の根の周りを耕すように詩を書きなさい」

とか、

「図書館で偉大な詩人の作品を読みふけったが、読めば読むほど自分の至らなさに絶望して、他の人の作品を一切読まなくなった。そしたら再び詩が書けるようになった」

なんてことが書いてあったような気がします。私はその頃、物理学の博士課程で我武者羅に勉強をしていた頃で、この本は私の物理学の指針として大きな影響を与えてくれました。

その中でも、今でも強烈に印象が残っているのは、リルケの恋愛詩についての指南です。曰く、

「恋愛詩は原則として書くな。恋愛詩はどうしても陳腐になってしまう。一生の間にどうしても恋愛詩を書かなくてはならないときが来るかもしれない。そのときに、詩人として全霊を込めて恋愛詩を書きなさい」

確かこのような趣旨のことを言っておりました。

だから、リルケに言わせるとシンガー・ソング・ライターや歌謡曲の作詞家は詩人ではないのですね。

どうやら、詩人にとって恋愛詩は、作曲家にとってのバイオリン協奏曲みたいなものなんですね。歴史に残る偉大な作曲家たちは、二人の例外を除いて、一生に一曲だけしかバイオリン協奏曲を書かなかった。そして、ベートーベン、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームス、皆たった一曲だけだったのに、どれもこれも素晴らしい曲ばかりです。この二人の例外とは、バッハとモーツァルトだそうです。

ところで、この本の翻訳を読んでいて、最後に翻訳者のあとがきを読んだら、そこには、何じゃこっりゃ、ってなことが書いてあったのです。

言葉は正確に覚えておりませんが、そのあとがきには、

「翻訳を終えて大分経って、自分はその若き詩人のその後の消息に興味があり調べてみた。失望したことに、何とその若き詩人は、今では下卑た二束三文のポルノ作家になっていた。」

ってな内容のことが書いてありました。

texas-no-kumagusuのブログ-若き詩人への手紙


おいおいおいおい、一寸待った。あんた某有名大学の教授様らしいが、あんたの程度と、この若き詩人の能力の違いに雲泥の差があるのが分からんのか。下がりおろう。

確かに、その若き詩人はその後、偉大な詩人にはなれなかった。しかし、彼の問いに答える形で、彼はリルケから人類の財産となる珠玉の詩論を引き出してみせた。そんなこと、あんたみたいなレベルの人間が、逆立ちしたって出来ないじゃないか。どんな有名大学の教授様だか何だか知らんが、あんたの今まで書いた論文や作品の中で、その若き詩人がやって見せたように一つでも人類の歴史に残るようなもんがあるのか。あんた、彼の業績のお陰で、名の通った翻訳者としてもその業界で認められてんだろ。彼の存在に感謝こそすれ、失望たあ何事じゃい。このお方の影を踏むとあんたの足が腐るから、気を付けろってんだ。

翻訳者のこの大学の教授は、物を創り出すってことがまるで理解していないってことを、そのあとがきで曝け出してしまったのですね。有名大学だろうがドイツ文学者だろうが何だろうが、こんな程度の大学の先生がごろごろしているんですよ。