貴方には霞を食って生きて行くだけの度胸がありますか? | texas-no-kumagusuのブログ

texas-no-kumagusuのブログ

トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

前回2013.4.13のブログ『カエルもワニも哺乳類である 』で研究生活でよくやる間違いを紹介しましたが、今回は多くの研究者がやる危険な行動に付いて紹介します。これは、ア メリカの物理学者が神と崇めるリチャード・ファインマンという方が述べていた逸話です。ファインマンは朝永振一郎と一緒にノーベル賞を貰っています。

texas-no-kumagusuのブログ-ファインマン


ファインマンが夜道を歩いていたら、街灯の下で何かを探している人に行き会った。何を探しているのかと聞いたら、鍵だと言う。そこで、ファインマンも一緒にその辺りを探して上げたが、一向に見つからない。そこで彼は、

「これだけ探しても見つからないが、どこいら当たりで鍵を落したか見当がつかないか」

と聞いた。するとその落とし主は、

「どうもあそこら当たりで落したような気がする」

と街灯の光が届かない暗闇の方を指差した。ファインマンは驚いて、

「だったら何故そっちを探さないんだ」

落とし主曰く

「でもあっちは暗くて何も見えないじゃないか」


信じられないかも知れませんが、多くの研究者がこの落とし主と同じ行動をしているんですよ。本来研究とは、未だ誰も見たことがないか、考えも付かなかったことについて提案し、それを明らかにすることです。だから、今までの理解では何も見えないことをやるのが研究なのです。場合によっては経験が役に立つことはあっても、今まで勉強して手に入れた知識が全く役に立たないことかもしれない。でも、それが何も見えないと言う理由で恐がって、一向にそれをやろうとせず、 明るくて今更新しいことが出て来ないような、お勉強だけで出来るような二番煎じな問題を研究課題に選んでいる人が驚くほど多いのです。

一寸話がそれますが、私がある科学専門雑誌に投稿した論文の審査で、ある審査員の評が面白かった。曰く、

「こんなこと聞いたことがない。だから掲載しない方がよい」

要するに、この論文は誰も気付いたことがない新しい発見が書かれているから掲載しない方がよいと言ってるのです。これには度肝を抜かれ、早速と言うか、後にも先にもその時生まれて初めて編集者にその審査員を代えるように抗議し、その後直ぐに掲載が認められる経験をしたことがあります。

話を元に戻して、マスゴミや芸能界や商売の世界ではドジョウは二匹でも三匹でもいるでしょうが、学問の世界には二匹目のドジョウは居りません。なのに、二匹目のドジョウを探している研究者が意外に多いのです。学問の世界は二番目でも良いという無能な似非政治家が生き残れるような世界ではありません。

texas-no-kumagusuのブログ-二番

二番煎じが通用しないって、これから学問の世界で生き残って行きたいと考えている若い皆さんにとって、大変好運なことですよね。一匹目になるために皆が恐がっている暗闇に入って行く度胸さえあれば、何か新しい世界に巡り会える可能性が格段に大きくなるのですから。

学問をしたいなら流行りの問題を研究課題に選ぶな。霞を食ってでも我が道を行け。

これが鉄則です。