タイトルの前に^^)

 

今週の虎太郎^^)↓

今日は食事風景をパチリ^^)

 

それではタイトルに戻ります^^)

 

関門海峡は九州と本州の間にある海峡で、壇ノ浦の合戦でも知られています^^)

 

諸説ありますけど、ここ関門海峡は「馬関」と呼ばれています^^)

 

以前「山口県防府市の旅」で「おまたのはちまんさま」の記事を書いたときに、「邪馬台国」は山口県西部と書きました^^)

 

なぜ山口県が「邪馬台国」なのか?もちろん理由があります^^)

 

ミネルヴァ書房の「邪馬台国」はなかった 古田武彦 著を引用してみます^^)

 

二 榎(えのき)説への批判

 

前略 帯方郡治(七千余里)→狗邪韓国(釜山付近)(千余里)→対海国(千余里)→一大国(千余里)→末盧国(五百里)→伊都国(百里)→奴国(百里)→不弥国

となていると考えられた。

つまり、不弥国までですでに一万七百里かかっていることとなる。

するとあと残りは千三百里しかないこととなる。

12000ー10700=1300(里)

この千三百里はいったいどのくらいの長さだろうか。

今の壱岐ー対馬間が千余里、というのだから、その千里の1.3倍くらいしかない。

そうすると、不弥国(博多付近)からそのくらいの距離というくらいだから、とても近畿大和まで行くはずがない。

「南」を「東」になおしてみても、せいぜいわずかに関門海峡をこえる程度、山口県どまりである。とあります^^)

 

だから山口県が「邪馬台国」であっても不思議はないんです^^)

 

それでも古田武彦氏は邪馬台国は山口県でないと主張されていますけど^^)

 

 
 

 

では、以前の記事で「投馬国は北九州市」と書きました。

そして山口県が「邪馬台国」という僕の主張なので、「とう馬こく」と「や馬たいこく」の間だから関門海峡は、馬と馬の間で「馬関」と呼ばれたと解釈しています^^)

 

ただ山口県を邪馬台国とすると距離と日程があわないとの主張がありますけど、それには理由があります^^)

 

それはまたいずれ^^)

 

2023年1月3日に娘と娘の婚約者と僕で関門海峡へ行った時の写真をどうぞ^^)↓

 

 

 

 

 

山口県=邪馬台国側から馬関を望む^^)↓

 

 

 

戦艦大和の砲弾^^)↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではまた^^)

 

てっさい^^)