タイトルの前に^^)
1月5日にファッションセンターしまむらで商品の注文をしたんですけど、1週間から10日かかると言われました^^)
でも1月9日に入荷の電話があり意外と早かったです^^)
それでしまむらに行って来ました^^)↓
注文したのは父と母の誕生日プレゼントの「蕎麦ガラ、ヒノキチップの枕」です^^)
僕が約1年使って快適な眠りを保証したので、買いに行きました^^)
なんでも、入荷したらすぐ売れるようで、なかなかお店では見かけないようなんですけど、僕のブログの検索でも「蕎麦ガラ枕」は結構ヒットして見に来てくれています^^)↓
値段は一個980円^^安いです^^)↓
父も母も喜んでくれました^^)
それではタイトルに戻ります^^)
本や資料によると「投馬国」は海のそばらしく、起点はいくつか候補があるようですけど、水行20日で着くようです^^)
先ずは、「北九州市門司の地図」を見てください^^)↓
本州の最西端山口県側に「下馬寄」があり、その斜め下の緑の部分が「手向山」です^^)
「下馬寄」は「しもまいそう」と読みます^^)↓
「下馬寄」の「下馬」は「げば」とも読み、貴人に対して馬を降りるという意味があります^^)
僕は戦いをやめて「応神天皇」の軍門に下ったという意味が残されていると思います^^)
更に「寄り」が付いているので、この場所から少し離れた場所で軍門に下ったのではないかと思います^^)
次の写真を見てください^^)↓
その「門司区東馬寄」は小字だと思いますけど。「東馬寄」の読みは「ひがしまいそう」と読みます^^)
もう一つ僕がこの地名に隠された読みは「とうまより」です^^)
とうま=投馬で、投馬国に寄った場所と言う意味です^^)
そして投馬国の東寄りと言う意味もあると思います^^)
投馬国の本拠地はここより西側にあったと考えます^^)
もう一つの写真を見てください^^)↓
これは「上馬寄」で、読みは「かみまいそう」と読みます^^)
この辺り一帯が投馬国の一部であったと考えられますけど、僕は応神天皇との戦いに敗れてこの辺りに領地を残してもらったと思います^^)
「馬寄」は「まいそう」と読みますけど、「埋葬」をしたのではないかと思います^^)
ではどこで戦ったかと言うと^^)↓
「手向山」と書いて「たむけやま」と読みます^^)
ここで投馬国が、応神天皇に「てむかい」して、死者を出し、花などを応神天皇の八幡神軍が「たむけた」ことから「たむけやま」と、読むようになったと考えています^^)
では投馬国はどのくらいの広さだったか?他に証拠はあるか?などはまた後編で書きたいと思います^^)
ではまた^^)