タイトルの前に

今日は朝から娘のアパートの引っ越しで、父と二人で娘のアパートに行ってきました^^)

 

引っ越しが終わり娘のアパートから帰って、お昼ご飯は父がおごるというので「長崎ちゃんめん」に行って来ました^^)↓

ごちそうさまでした^^)

 

それではタイトルに戻ります^^)

 

先週は「太宰府」の記事でしたが、狙っていたわけではないですけど、また九州の旅の続きです^^)

 

先ずは、太宰府の写真を見て頂きましよう^^)↓

 

海からはかなり山奥の盆地に広がる「太宰府址」ですけど、海側に水城もあって堅固な守りになっています^^)

 

大野城もあり、外国からの侵略を防ぐことも、この「太宰府」にはあったようです^^)

 

そこで、僕には疑問があったのですけど、「太宰府」が造られる前はなんだったか?です^^)

 

太宰府の学芸員の方に聞いた話では、大野城より古い城跡が太宰府を囲むように4つ見つかったようです^^)

 

僕は「奴国」の首都が太宰府の前にあって、奴国が無くなってから太宰府が出来たのではないかと思っています^^)

 

なぜ奴国が無くなったのかは解りませんが、今でいう「合併吸収」されたのではないでしょうか?

 

そうでなければ戦争があったような気がしますが、そうであれば、なにがしかの「いわれや地名」が残っているはずです^^)

 

水城辺りに「春日神社」が元々あったというのも、気になります^^)

 

ではまた^^)