タイトルの前に^^)

今日は朝早物の玉ねぎを収穫しました^^)

今日は玉ねぎ沢山のカレーでも作ろうと思います^^)↓

僕が玉ねぎを収穫している時に、父と母がファッションセンターしまむらに行って、父のパジャマと母の服を買いに行ったようです^^)

僕は新山口の「ヒマラヤ」に買い物に行きました^^)↓

まずは、この秋に旅行に行くので、消費税が上がる前に「リュックサック」を買いました^^)↓

それから、夏になると半ズボンが多いので半ズボンも買いました^^)↓

 

それではタイトルに戻ります^^)

 

前回「大木森住吉宮」に行きましたが、次は「浄土真宗願生寺」に行きました^^)

 

僕は宇部市で生まれて直ぐに亀浦で育ったんですけど、父が山口宇部空港の工事でダンプカーに乗っていた関係で亀浦にいたようです^^)

それから母の父が経営する左官の会社に勤めたから、母の父が住む舟木に移り住み、幼稚園の年中、まで舟木に住んでいました^^)

それでこの「願生寺」がある坂の上でよく遊んでいました^^)↓

 

石碑^^)↓

南元阿弥陀佛と彫られています^^)↓

この「願生寺」にはた寺子屋「松下園(しょうかえん)」があったようです^^)↓

 

この「願生寺」のすぐ前が「岡崎八幡宮」です^^)↓

 

 

 

ここに由来が書いてありますけど^^)↓

 

書いてない由来は、この「岡崎八幡宮」は、「奈良時代の宝亀元年(770)光仁天皇の勅使として、和気清麻呂公が宇佐神宮へ御下向の時、船木の歴史をお聞きになり(前回の八幡愚童記など^^)、神功皇后の因縁の地であることをお知りになった。御帰路の際、宇佐八幡宮の御分霊をこの地に鎮祭されたことが当社の創立である。」また「安土桃山時代の天正15年(1587)3月、豊臣秀吉公は九州征伐のため下向されたが、その途中に当社に立ち寄り祈願された。間もなく九州を平定し、同年7月に赤間関に帰り、そこから陸路を経て大阪に帰られたが、この途中、船木を通行の時、戦勝をなしたことを当社の御神徳のおかげと、当社に幣を奉納し、お礼の祭祀を行われた。」とあります^^)

夕方になると「岡崎八幡宮」から太鼓の音が聞こえてきて、怖くなって急いで家に帰った記憶があります^^)